岩倉街道は、現在の愛知県清須市から犬山市に至る街道であり、地域の歴史と文化を象徴する重要なルートです。この街道は名古屋城下から岩倉市を経由して犬山へと通じ、多くの歴史的出来事や文化的要素が詰まっています。
岩倉街道は名古屋城下から岩倉へ通じる街道で、その始点は枇杷島橋の西詰にあります。ただし、終点については明確ではありません。街道は小田井、九之坪、石仏、小折などを経由し、犬山へと至ります。この地域の歴史や文化に触れる上で、街道は重要な役割を果たしました。
街道が通る自治体は以下の通りです。
1666年(寛文7年)の記録には、道幅が「二間二尺」とされており、扶桑町の一部では比較的昔の道幅が保存されている場所も見られます。
岩倉街道は1667年(寛文8年)に整備されたとされますが、一部はそれ以前から存在していたと考えられます。この街道は、尾張地方北部から枇杷島の青果市場への野菜輸送路として重要であり、庄内川を越える枇杷島橋とも接続していました。また、軍事的にも利用された可能性が指摘されています。
明治時代には三等国道岩倉街道として指定され、さらに道路改良が進められました。1886年(明治19年)には改良工事が行われ、距離が短縮され道幅も広げられました。その後、大正時代には名称が県道布袋枇杷島線と改められ、多くの人々に利用されました。
江南市や丹羽郡扶桑町を通る街道は「柳街道」とも呼ばれます。この名称は、1575年(天正3年)に織田信長が信忠に命じて街道沿いに約290本の柳を植えたことに由来します。現在の愛知県道250号柏森停車場線などがこれに該当します。
『寛文村々覚書』や古地図には、柳街道に関する記録が多く残されており、当時の街道の重要性がうかがえます。また、かつては尾張藩が街道沿いの柳並木を管理していましたが、現在は消失しています。
岩倉街道沿いには以下のような歴史的・文化的な場所があります。
江南郷土史研究会などの団体は、柳街道の文化的価値を次世代に伝えるため、植樹活動や記念碑の設置を行っています。また、かつての街道を辿ることも可能で、地域の歴史に触れることができます。
岩倉街道は、地域の歴史や文化を語る上で欠かせない存在です。その街道を歩くことで、近世から近代に至るまでの愛知県北部の発展や人々の生活に触れることができます。歴史ある街道としての魅力を、これからも後世に伝えていく努力が続けられています。