慶栄寺は、愛知県名古屋市西区に位置する真宗大谷派の寺院です。山号は「阿原山」、本尊は阿弥陀如来立像です。歴史的な移転と災害を経て、現在の地に安定した姿を見せる慶栄寺は、文化的な建築物や貴重な寺宝を保有しており、多くの人々に親しまれています。
慶栄寺はその創建から現代に至るまで数百年の歴史を持つ寺院です。その由緒は深く、初期の建立地から現在地に至るまで、歴史的背景とともに地域の変遷を物語っています。また、文化財としての建物や貴重な寺宝が多く、宗教施設であると同時に歴史・文化の保存の場ともなっています。
慶栄寺は、永正元年(1504年)に春日院善正によって美濃国多芸郡に創建されました。その後、尾張国春日井郡阿原村(現在の清須市)へ移転したと伝えられています。ただし、阿原村で創建されたとの説も存在します。
清洲越しの後、名古屋市中区丸の内一丁目にあたる皆戸町へ移転しました。移転の年度については複数の説があり、慶安2年(1649年)説や、慶長15年から18年(1610年 - 1613年)説などが挙げられます。
元禄13年(1700年)の大火で焼失した後、再建が行われました。しかし、享保9年(1724年)5月13日の大火で再び被害を受けたため、同年12月に現在の円頓寺筋に面した地に移転しました。その後、元文元年(1736年)から寛保元年(1741年)にかけて本堂が再建されました。
9世義諦は、京都・東山から松涛庵を移築し、複数の堂宇を建設しました。10世了義は尾張藩主徳川慶勝と深い関係を持ち、嘉永2年(1849年)に鐘楼堂を再建する際には木曾檜を用いるなど、藩の支援を受けて寺院を発展させました。また、慶勝が作らせた折りたたみ式茶室「御席屏風」を拝領し、一部は徳川美術館に寄贈されています。
明治維新を経て東本願寺の末寺となり、1919年(大正8年)の火災では太子堂と松涛庵を除く全ての堂宇が焼失しました。1923年(大正12年)、竹中工務店によって本堂が再建されました。1945年(昭和20年)の名古屋大空襲では周辺が多く焼失しましたが、慶栄寺は被害を免れました。
2008年(平成20年)の豪雨で太子堂が被害を受けたため、約100年ぶりに改修が行われました。その後、2009年(平成21年)11月より月1回の公開が始まり、現在では年4回の公開が行われています。
慶栄寺は名古屋市西区の円頓寺筋に位置し、交通の便が良く観光や参拝に適した場所です。歴史ある建築や寺宝を目にしながら、地域の歴史と文化を感じることができます。