凌雲寺は、愛知県名古屋市中村区稲葉地本通にある臨済宗妙心寺派の寺院で、山号は集慶山といいます。 本寺は歴史的、文化的にも価値のある寺院で、織田信長との深い関わりを持つ場所として知られています。
凌雲寺の境内に足を踏み入れると、見事な禅寺の風格を備えた庭園が広がります。この庭園は、市内でも屈指の名園として知られ、 放生池を中心に、スケールの大きい岩組みや松樹豊かな中之島など、美しい景観を楽しむことができます。
本堂の前には、織田信長が幼少期に手習いで使用した草紙を枝に掛けて遊んだと伝えられる「信長草紙掛の松」があります。 この松には石碑が建てられており、歴史的な逸話を今に伝えています。
『尾張志』によれば、凌雲寺は永正年間(1504年〜1521年)に稲葉地城主であり、織田信長の伯父にあたる 織田信光によって創建されました。
信長が幼少期にこの寺で手習いをしたと伝えられており、その痕跡として草紙掛の松が残っています。
墓地には、織田信光のものとされる宝篋印塔があり、石碑には以下の文字が刻まれています。
「前豊州大守泰翁玄凌禅定門 天文5年(1536年)丙申十月廿八日」
織田信光(おだ のぶみつ)は、戦国時代に活躍した武将で、通称は孫三郎です。 尾張国の稲葉地城および守山城主であり、織田信長の叔父にあたります。
永正13年(1516年)、尾張国の織田弾正忠家の当主である織田信定の子として誕生しました。 兄・信秀に従い、小豆坂の戦いで武功を挙げたことで名を馳せました。
天文24年(1555年)、信長の敵対勢力である織田信友を清洲城で謀殺し、信長に清洲城を譲るなど、 戦国の動乱期において重要な役割を果たしました。しかし、弘治元年(1556年)に不慮の死を遂げました。
織田信光には信成、信昌、仙千代といった子どもがおり、その血筋は後世にも受け継がれています。
凌雲寺の山門は禅寺らしい落ち着いた佇まいで、訪れる人々を迎えます。
本堂と庫裡は歴史を感じさせる重厚な建築で、訪れる人々に感銘を与えます。
凌雲寺は、名古屋市中村区稲葉地本通3-18-13に位置し、公共交通機関でのアクセスも便利です。
凌雲寺は、幼少期の信長が学び、遊んだ場所としても知られています。その歴史的背景と逸話に触れることで、 戦国時代の空気を感じることができる貴重な場所です。