尾陽神社は、愛知県名古屋市昭和区御器所に鎮座する歴史深い神社です。
尾陽神社は、明治時代に旧尾張藩士たちの請願により、名古屋東照宮に合祀されていた徳川義直(初代尾張藩主)と徳川慶勝(14代・17代)を祀る神社として創建されました。これは名古屋開府300年記念事業に合わせて行われ、1910年(明治44年)に設立されました。
1922年(大正11年)には県社に列せられ、その後の1924年(大正13年)10月28日に現在の場所へ遷座されました。当初は別格官幣社に昇格する予定が内示されていましたが、太平洋戦争の勃発により昇格は実現しませんでした。
社殿は当初神明造で建てられましたが、1945年(昭和20年)の名古屋大空襲により焼失。その後、1970年(昭和45年)に再建されたものが現在の社殿です。
1949年(昭和24年)には天照大御神を主祭神として合祀されました。また、1973年(昭和48年)には徳川家本邸に祀られていた栄世稲荷神社を、1976年(昭和51年)には大神神社の摂社である久延彦神社の分霊を受け、それぞれ摂社として祀っています。
久延彦神社の社殿は、枚方市の山田神社から贈られたものであり、もともとは約200年前に春日大社の本殿として使用されていた歴史的建造物です。
尾陽神社では以下の神々が祀られています。
境内には摂社と末社が設けられています。
神社の神宝として、1863年(文久3年)に徳川慶勝公が孝明天皇から拝領した刀があります。この刀は、慶勝公が朝廷より将軍補翼に任じられた際に授けられた貴重な品です。
尾陽神社の付近は、かつて御器所西城(ごきそにしじょう)があった場所とされています。
御器所西城は比高差10メートルの丘に建てられた平山城で、嘉吉年間(1441年-1443年)に佐久間美作守(または佐久間家勝)が築城したと伝えられています。創建当時には空堀や土塁の一部が残っていましたが、現在では痕跡はほとんど確認できません。
神社の西側から北側にかけて見られる石垣は、近年の神社整備によって造られたものであり、当時の名残としては本殿背後にわずかに残る崖状の地形が挙げられます。
御器所西城は佐久間盛次の代に織田信長に仕え、息子の佐久間盛政が柴田勝家の甥であったため、賤ヶ岳の戦いに勝家の軍勢として参加しました。しかし、盛政が討死したことにより城は廃城となりました。
名古屋市道堀田高岳線の白金一丁目交差点を東進し、約400mで到着します。(駐車台数は不明)
尾陽神社は、歴史と文化が融合した魅力あふれる場所です。昭和区を訪れる際にはぜひ立ち寄ってみてください。