乾徳寺は、愛知県名古屋市中区に位置する曹洞宗の寺院です。山号は「雲龍山(うんりゅうざん)」であり、本尊には木造阿弥陀如来坐像が安置されています。歴史ある寺院で、宗教的な意義のみならず、文化財の宝庫としても知られています。
乾徳寺はその設立から現在に至るまで、多くの歴史的な変遷を経ています。特に名古屋の文化財の保存と発展に重要な役割を果たしてきました。また、周辺地域との深い結びつきがあり、名古屋市の歴史における重要な一端を担っています。
乾徳寺の創設は万治2年(1659年)に遡ります。この年、犬山藩第2代藩主・成瀬正虎が分家の成瀬之成(栗原藩第2代藩主)の菩提を弔うため、名古屋市東寺町に一宇を建立しました。寺院の初代住職として北岩秀南が招かれ、成瀬家とその家臣が檀家として支えました。一方で、永禄5年(1562年)の創建とする説も存在します。
延宝4年(1676年)6月、北岫祖嶽が愛知郡山口村にあった別の乾徳寺を引き継ぎ、寺号を改めました。本尊である木造阿弥陀如来坐像は、延宝8年(1680年)に伊藤次郎左衛門によって寄進され、その芸術性と歴史的価値が高く評価されています。
明治時代には宗教政策の変化に伴い、一時衰退しましたが、再び復興を遂げました。戦後は名古屋市の復興事業の一環として、寺院の墓地が平和公園に移設されるなど、地域社会と密接な関わりを持ち続けました。
乾徳寺の境内は、現在ではビル群に囲まれた都市型寺院の様相を呈しています。広小路通に面する雲竜ビルの建設など、周辺地域の開発によりその景観も大きく変わりました。
戦前には雲龍幼稚園が併設されていましたが、1970年(昭和45年)に閉園しました。また、かつての境内には本堂や僧堂、庫裏、総門、明王殿など多くの施設が存在していました。
乾徳寺の末寺としては清須市にある昌光寺が知られています。これらの末寺も乾徳寺と共に歴史的意義を持っています。
乾徳寺に付属していた墓地は現在、平和公園に移設されています。ここには赤穂浪士の一人である片岡高房や尾張藩士で絵師としても知られる内藤東甫の墓が置かれていました。さらに、平和公園移設事業の推進に尽力した田淵寿郎の墓も後に移されています。
乾徳寺は名古屋市の文化財保存において重要な役割を果たしています。その境内や関連施設には、名古屋市の歴史や文化に触れるための貴重な資源が多く存在しています。
乾徳寺へのアクセスは以下の通りです。