闇之森八幡社は、愛知県名古屋市中区正木に鎮座する歴史ある神社です。別名「若宮八幡宮」とも呼ばれ、長い歴史と独自の伝説に彩られています。
かつてこの神域には、大木が鬱蒼と茂り、その影響で月光すら届かないほどの暗さがありました。この神秘的な景観は人々の心を捉え、「闇の森」として知られるようになりました。その美しさは大正時代に「名古屋十名所」の一つとして選ばれるほどでした。
闇之森八幡社の創建は長寛年間(1163年~1165年)とされ、源為朝が石清水八幡宮を勧請したと伝えられています。また、境内には為朝の甲冑を埋めたとされる「鎧塚」が存在し、その歴史的価値がうかがえます。
室町時代には永正7年(1511年)に市部荘総鎮守とされ、永正11年(1515年)には鶴見直親や鬼頭源氏による社殿の重修が行われました。さらに、織田信長の父である織田備後守信秀が古渡城築城の際に領内守護として尊崇し、天文11年(1543年)には社殿の修築を行いました。
江戸時代に入ると、初代尾張藩主徳川義直によって深く崇敬され、享保9年(1725年)には6代藩主徳川綱友が社殿の改修を命じました。また、明治時代には徳川義禮が石垣修築のために献金を行い、神社の維持に貢献しました。このように、代々の尾張藩主からの厚い崇敬を受けてきた神社です。
闇之森八幡社の祭神は以下の通りです。
また、例祭は毎年10月14日と15日に行われ、多くの参拝者で賑わいます。
境内には以下の摂末社があり、それぞれが独自のご利益を持つとされています。
闇之森八幡社には「片目の鮒」という伝説があります。ある少年が病気の母親のために、闇之森の池にいる片目の鮒を食べさせたところ、母親の病気が治りました。その感謝の気持ちを込めて、少年は池に2尾の鮒を放ちました。また、別の人も片目の鮒を食べて元気になったという逸話が残されています。
徳川宗春が尾張藩主であった享保18年(1733年)には、遊女小さんと畳職人喜八の心中未遂事件が発生しました。この事件は後に浄瑠璃「睦月連理𢢫」の元となり、名古屋中で大評判となりました。
闇之森八幡社は、その長い歴史と多彩な伝説で訪れる人々を魅了しています。名古屋を訪れる際には、ぜひこの神社を訪れ、その神秘的な雰囲気を体感してください。