守山城は、尾張国守山(現在の愛知県名古屋市守山区市場)に存在した日本の歴史的な城です。数々の歴史的事件の舞台となり、多くの物語を残してきた城郭として知られています。
守山城に関する最初の記録は、1526年(大永6年)に連歌師の宗長がこの地を訪れた際のものです。宗長は館で松平信定の新知行を祝う千句連歌会を開催し、「花にけふ風を関守山路哉」と詠んだ句が記録されています。これが「守山」としての初出とされています。
その後、守山城は松平清康と織田信秀の勢力争いの中で重要な拠点となり、1535年(天文4年)の「守山崩れ」という事件が発生しました。さらに、1555年(弘治元年)には織田信長とその弟信光がこの城を巡る争いに関与し、幾度も主が変わる波乱の歴史をたどりました。
以下に守山城に関する主要な出来事をまとめました。
連歌師の宗長が訪問し、「守山」が記録に初めて登場。
松平清康が守山城で家臣阿部弥七朗に斬殺される「守山崩れ」が発生。
織田信長の弟信次が城主となるも、誤殺事件により城下が炎上。織田信長が介入し、信時が城主となるも再び争乱が続く。
織田信長の妹、お市の方と三姉妹(茶々、初、江)が守山城に一年間滞在。
信次が戦死し、守山城は廃城となる。
守山城は平山城であり、『尾州古城志』によると規模は東西約58メートル、南北約51メートルとされています。城跡には現在、清康の供養のために建立された「宝勝寺」が存在し、城址碑も建てられています。寺院裏手には空堀や本丸跡とされる土壇が残り、歴史を感じることができます。
守山城跡へのアクセスは、名鉄瀬戸線「矢田駅」より北へ徒歩約10分です。公共交通機関を利用して気軽に訪れることができます。
守山城は、尾張国の歴史の中で重要な役割を果たした城郭であり、その遺構には数多くの歴史的な物語が息づいています。歴史愛好家や文化に興味のある方にとって訪れる価値のある場所です。