那古野城は、戦国時代に尾張国愛知郡那古野(現在の愛知県名古屋市中区)に存在した日本の城です。今川氏親(今川義元の父)が築城し、16世紀前半に約30年間存続した後に廃城となりました。その後、旧城地は約半世紀後に再び城地に選ばれ、現在の名古屋城として再建されました。
那古野城の起源は、駿河の今川氏親が尾張東部への支配を拡大していた時期に遡ります。この地を拠点とする那古野氏が領有していた土地に、今川氏親が拠点として築城したとされています。この城は「柳ノ丸」とも呼ばれ、築城当時の城主は氏親の一族である今川氏豊と伝えられています。
天文7年(1538年)、織田信秀が計略を用いて今川氏豊を追放し、那古野城を奪取しました。信秀は城を拠点とし、その後、嫡子である織田信長に譲りました。これにより、那古野城は織田家の重要な拠点として機能することとなります。
織田信長の生誕地については那古野城説が長らく有力視されていましたが、近年では勝幡城説が有力とされています。信長は弘治元年(1555年)に清須城へ移り、那古野城は信長の叔父や重臣に一時的に管理されましたが、やがて廃城となりました。
約50年後の慶長14年(1609年)、徳川家康がこの地を再び城地として選び、名古屋城の築城を開始しました。この頃、那古野城跡地は荒野と化していたと伝えられています。
中世城郭としての那古野城は、近世城郭である名古屋城に完全に取り込まれました。そのため、中世の那古野城を直接偲ばせる遺構はほとんど存在しません。しかし、名古屋城二之丸の一部が那古野城の跡地とされており、現在も二之丸内に那古野城址の碑が建てられています。
那古野という地名は、名古屋城の西南部に現存しています。ただし、現在では「なごの」と読み方が変化しています。
那古野城跡地は、愛知県名古屋市中区二の丸1に位置します。交通アクセスについては名古屋城の案内を参照すると便利です。
那古野城は、戦国時代の歴史の中で重要な役割を果たした城です。現在では直接的な遺構は少ないものの、名古屋城としてその歴史を受け継いでいます。名古屋を訪れる際には、那古野城址を巡り、この地の歴史に思いを馳せてみてはいかがでしょうか。