大高城は、かつて尾張国知多郡大高村(現在の名古屋市緑区大高町)にあった日本の城です。 特に「桶狭間の戦い」の前哨戦として知られ、今川義元の配下であった松平元康(後の徳川家康)が 「兵糧入れ」を行ったことで歴史に名を刻んでいます。
現在は国の史跡に指定され、「大高城址公園」として整備されています。 公園内には城跡や史跡碑、城山八幡社などが残り、歴史を感じながら散策できる場所として親しまれています。
大高城の築城年代は不明ですが、南北朝期には土岐頼康が尾張守を務めており、 池田頼忠が城主であったとされています。その後、永正年間には花井備中守や 水野為善、忠守親子がこの地を治めました。
天文年間には水野氏の支配下にありましたが、織田信秀の統治下に入ります。 天文17年(1548年)には今川義元の命を受けた野々山政兼が攻撃を試みるも失敗し、 政兼は戦死します。その後、信秀の死後に織田信長から離反した山口教継の調略により、 今川方の手に落ちました。
永禄3年(1560年)、松平元康は大高城の包囲を破り「兵糧入れ」を成功させます。 その後、信長の攻撃による義元の敗死を確認した元康は岡崎城に引き下がり、 大高城は織田家の領地となりました。
大高城は廃城となった後、元和2年(1616年)に尾張藩家老志水家の館が建てられました。 しかし、この館も明治3年(1870年)に売却され、その後は史跡として保存されています。
大高城址には、本丸や二の丸の曲輪跡、土橋、空堀などが現存しています。 また、本丸隅には城山八幡社と城址碑が建てられており、 歴史を学ぶ場として多くの人々が訪れます。
近隣には、大高城主であった水野大膳が父を弔うために建立した曹洞宗の寺院「春江院」があります。 また、桶狭間の戦いの関連地として「丸根砦跡」「鷲津砦跡」も見どころです。
JR東海道本線「大高駅」より徒歩約10分で到着します。 ただし駐車場がなく、道が狭いため訪問の際は注意が必要です。