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尾張戸神社

(おわりべ じんじゃ)

尾張戸神社は、愛知県名古屋市守山区および瀬戸市に位置する歴史ある神社です。式内社に列し、旧社格は郷社とされています。この神社は、名古屋市の東部にそびえる東谷山(とうごくさん)の山頂に鎮座しており、地域住民から「熱田の奥の院」や「東谷明神」、「東谷大明神」とも呼ばれることがあります。

祭神

尾張戸神社の祭神は3柱で、いずれも尾張氏の祖先神とされています。

特に天香語山命は庄内川の対岸にある高蔵山に降り立ち、その後現在の東谷山に移ったと伝えられています。この移動の際、白鹿に乗り川を渡ったという伝承があり、現在も「鹿乗橋」という地名にその名残をとどめています。

尾張戸神社の歴史

創建と由緒

尾張戸神社は、成務天皇5年(西暦131年)に創建されたとされ、創建には日本武尊の妃である宮簀媛命が深く関わっています。また、社名の「東谷山」は「尾張山」や「当国山」とも呼ばれた歴史があり、尾張の国名と深い関係を持つと伝えられています。

古墳との関係

尾張戸神社は「尾張戸神社古墳」という円墳の上に鎮座しており、この古墳は志段味古墳群の一部として国の史跡に指定されています。古墳の築造時期は4世紀前半と推定されており、尾張氏の祖先と関わる重要な史跡として知られています。

中世から近世にかけての発展

中世には火災や戦乱により一時荒廃しましたが、江戸時代には尾張徳川家の篤い信仰を受けて再興されました。特に初代尾張藩主徳川義直がこの地を重視し、尾張氏祖神としての祭神が改めて位置づけられたとされています。2代藩主徳川光友の時代には社殿の修繕が行われ、名古屋城の鬼門を守る神社としても重要視されました。

尾張戸神社の境内

本殿と建築様式

本殿はかつて八幡造で造られていましたが、明治時代に神明造に改築されました。また、本殿の北西側には1935年(昭和10年)の参道整備で発見された甕棺墓を祀る小堂があり、「甕室明神」として親しまれています。

摂末社

尾張戸神社の境内には、次の摂末社があります。

尾張戸神社古墳

尾張戸神社の本殿下に位置する「尾張戸神社古墳」は、直径27.5メートルの円墳です。埴輪は伴わず、石英の小礫を用いた葺石が特徴的です。この古墳は国の史跡「志段味古墳群」の一部として指定されています。

古墳の規模と構造

尾張戸神社古墳は、直径約27.5メートルの円墳で、二段にわたる墳丘を持っています。最初の段は高さ約2メートルで、傾斜角度は30〜35度であり、石英や小さな礫を使用して葺石が施されています。二段目には基底石が残っており、神社の社殿建設のために多くの部分が削平されています。

この古墳は、1935年に盗掘の被害を受けかけたものの、巨石によって防がれたという記録もあります。古墳には周溝は確認されていませんが、埋葬されていた人物やその時代の文化について多くの謎が残されています。

出土品

尾張戸神社古墳からは、山茶碗片や四耳壺片、土師器皿片など、中世や近世の遺物が出土しています。また、興味深いことに、古墳の調査の際に埴輪が発見されたとの記録もありますが、実際には現存していません。その他、13世紀の皇宋通宝や寛永通宝なども発見されており、古墳が築かれた時期を超えて様々な時代の品々が出土しています。

周辺の古墳群

尾張戸神社周辺には、「志段味古墳群」が広がっており、古代の遺跡が点在しています。この古墳群は、尾張戸神社古墳のほか、白鳥塚古墳や中社古墳、南社古墳などがあり、それぞれに独自の特徴を持っています。

中社古墳と南社古墳

中社古墳は、尾張戸神社の境内社である中社の社殿下に位置する前方後円墳です。約63.5メートルの長さを誇り、円筒埴輪が巡らされ、川原石の葺石が特徴的です。南社古墳は、円墳で直径約30メートルの規模を誇り、墳丘の上段には円礫、下段には角礫が葺かれるという珍しい形式を持っています。これらの古墳群は、尾張戸神社との深い関連が指摘されています。

まとめ

尾張戸神社は、尾張氏の歴史や文化を今に伝える重要な神社です。古墳との関わりや尾張徳川家との関係など、歴史的価値が高いだけでなく、東谷山の豊かな自然環境の中で多くの参拝者を惹きつけています。名古屋市周辺の観光地としても見どころの多い場所ですので、ぜひ訪れてみてはいかがでしょうか。

Information

名称
尾張戸神社
(おわりべ じんじゃ)

名古屋

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