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七里の渡し

(しちり わたし)

七里の渡しは、東海道五十三次の一部で、愛知県名古屋市熱田区の宮宿から三重県桑名市の桑名宿までの海路を指します。この渡し場は、江戸時代において重要な交通手段であり、特に宮宿側(熱田区)や桑名宿側(三重県)の渡船場跡は現在でも観光地として知られています。

七里の渡しの歴史

起源と重要性

七里の渡しは、慶長6年(1601年)に東海道五十三次が整備される際に設けられました。海路を通ることで陸路を迂回する時間を短縮する目的がありました。この海路は、江戸時代の東海道唯一の海上路で、満潮時には約7里(27km)、干潮時には約10里(39km)の距離を船で移動するものでした。

移動の所要時間

船旅にかかる時間は約4時間とされ、陸路を用いた場合の一日の行程よりも大幅に短縮されました。そのため、旅人たちにとって魅力的な選択肢でしたが、海難事故のリスクも伴っていました。

呼称の由来

「七里の渡し」という名称は、海路の移動距離が約7里であったことに由来しています。また、「桑名の渡し」や「宮の渡し」などの呼び名でも知られていました。

七里の渡しの航路

航路と特徴

七里の渡しは、宮宿と桑名宿を結ぶルートであり、江戸時代には多くの旅人や商人に利用されました。満潮時には陸地沿いを進む航路が利用されましたが、干潮時には沖合を回る航路となりました。これにより、船旅の距離や時間が変動しました。

海上の難所

七里の渡しは、天候の急変や海上の波の影響を受けやすく、東海道の難所の一つとされました。そのため、陸路を選ぶ旅人も少なくありませんでした。このような状況を補うために、脇往還として佐屋街道が利用されました。

宮宿側の遺構

宮の渡し公園

宮宿側の渡船場跡は、現在「宮の渡し公園」として整備されています。この公園には、以下の施設があります。

桑名宿側の遺構

七里の渡し跡

桑名宿側の渡船場跡は、現在「七里の渡し跡」として保存されています。この場所は、1958年に三重県指定文化財(史跡)に指定されました。また、伊勢国の東の玄関口として「伊勢国一の鳥居」が設置されています。

施設と構造

現代の七里の渡し

観光としての活用

現在では、「平成七里の渡し」として、熱田・宮の渡し跡から桑名・七里の渡し跡を結ぶ観光船が運航されることがあります。また、小型船をチャーターすることで、ほぼ同じ航路を辿ることも可能です。

伊勢湾岸自動車道との関係

現代の伊勢湾岸自動車道は、江戸時代の七里の渡しに近いルートを通過しており、当時の交通手段と現代のインフラのつながりを感じることができます。

まとめ

七里の渡しは、江戸時代の重要な交通手段として東海道五十三次の一部を担いました。現在では、当時の遺構や史跡を通じて歴史を学び、往時を偲ぶことができます。宮の渡し公園や七里の渡し跡は、歴史と文化を感じられる観光地として訪れる価値があります。

Information

名称
七里の渡し
(しちり わたし)

名古屋

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