白鳥古墳は、愛知県名古屋市熱田区白鳥にある6世紀初頭に築造されたと考えられる前方後円墳です。 法持寺の隣に位置し、白鳥公園にも隣接しています。かつては法持寺が管理していましたが、1876年(明治9年)から熱田神宮に、 そして戦後は名古屋市によって管理されています。
墳丘には須恵質の円筒埴輪が巡らされていました。また、墳丘の東側から北西側にかけて幅約10メートルの周濠があったと推定されていますが、現在では確認できません。 墳丘の詳細な測量は1951年(昭和26年)に名古屋大学によって行われました。
ただし、前方部南端は道路建設により、後円部の東側は鳥居の建設により、西側も法持寺の移転改築により一部掘削されています。そのため、元々の形状は失われています。
白鳥古墳からは以下のような出土品が確認されています。一旦法持寺の僧侶によって取り出されましたが、寺社官の評議の結果、 再び石室に戻されたと伝えられています。
考古学的には、白鳥古墳の被葬者は尾張氏の首長であると推定されています。
熱田神宮の社伝によれば、白鳥古墳は日本武尊の陵墓とされています。能褒野で葬られた日本武尊が白鳥となり当地に降り立ったという伝承に基づきます。 また、近隣にある断夫山古墳は妃・宮簀媛(みやずひめ)の墓とされており、熱田神宮では毎年5月8日に白鳥古墳と断夫山古墳で御陵墓祭を行っています。
本居宣長は白鳥古墳を訪れた際に以下の歌を詠んだと伝えられています。
しきしまの やまとこひしみ 白とりの かけりいましし あとところこれ
この歌碑は現在、公園の堀川側入口近くに建立されています。