高蔵遺跡は、愛知県名古屋市熱田区高蔵町付近で発見された複合遺跡です。旧石器時代から中世にかけての貴重な歴史を物語るものであり、高蔵貝塚、弥生時代の環濠集落、古墳時代の高蔵古墳群など多様な要素を含んでいます。
この遺跡は、1907年(明治40年)に大津通の改修工事中に発見されましたが、当時の作業員にはその価値が認識されず、多くの遺物が破壊される危機にありました。しかし、名古屋陸軍地方幼年学校の教官・鍵谷徳三郎による迅速な対応により、発掘調査が行われました。その結果、数多くの土器や石器、貝層、獣骨が確認され、考古学的に重要な資料が得られました。
鍵谷は1908年(明治41年)に約80日間にわたり発掘調査を行い、貝塚や土器、石器の詳細なスケッチを記録しました。これらの研究成果は、後に考古学の重要な資料として広く知られるようになりました。
その後も2007年(平成19年)までに約70回の調査が実施され、弥生時代から古墳時代、鎌倉時代に至るまでの遺構や遺物が確認されています。遺跡の範囲は東西約580メートル、南北約770メートルに及び、現在では住宅地や公園として利用されています。
この時代には環濠集落が築かれ、方形周溝墓の跡も多数発見されています。これにより、当時の社会構造や文化が明らかになりました。
5世紀頃には竪穴建物跡や周濠の痕跡が見つかっています。また、6世紀後半には高座結御子神社の周囲に複数の円墳が築かれたことが分かっています。
高蔵古墳群は、かつて高座結御子神社を囲むように存在した7基の円墳を中心とする古墳群です。しかし、開発の影響で多くが失われ、現在では1基のみが原型を留めています。
墳径16〜18メートル、墳高2〜2.5メートルの円墳で、1954年(昭和29年)に名古屋大学が発掘調査を実施しました。石室の構造や副葬品が確認され、多くの人骨が出土しています。
石室は丸石で組み上げられ、複数回の埋葬が行われた形跡が確認されています。これにより、当時の葬送文化が明らかになりました。
副葬品として玉類、金環、直刀、鏃、須恵器などが確認され、さらに中国古銭や巴文軒丸瓦片などの異国の影響を示す品も発見されています。
高蔵古墳群には他にも多くの墳丘が存在していましたが、その多くは未調査のまま失われました。現存する墳丘としては3号墳が唯一原型を留めていると考えられています。
高蔵遺跡から出土した壺形土器や台付壺形土器は、重要文化財に指定され、東京国立博物館で保管されています。これらの遺物は、弥生時代の文化を象徴する貴重な資料です。
高蔵遺跡は、名古屋市の歴史を語る上で欠かせない重要な遺跡です。その発見から調査、研究に至るまで、多くの歴史的価値が明らかになりました。現地を訪れることで、古代の名古屋の暮らしや文化をより深く感じ取ることができるでしょう。