鷲津砦は、愛知県名古屋市緑区大高町にあった中世の砦(城館)です。鷲津砦は1559年(永禄2年)、織田信長によって築かれました。翌1560年(永禄3年)には、歴史的な戦いとして知られる桶狭間の戦いの前哨戦がこの砦を巡って行われました。
砦の所在地は大高町の字鷲津山の丘陵とされ、1938年(昭和13年)には大高城跡と共に国の史跡に指定されています。ただし、正確な所在地については明確ではありません。
鷲津砦はJR東海道本線「大高駅」から東に約200メートルの丘陵地に位置しています。また、大高城跡から北東に約700メートル、丸根砦跡から北北西に約600メートルの距離にあり、戦略的に重要な場所でした。
16世紀半ば、尾張で勢力を伸ばしていた織田信秀の死後、信長がその跡を継ぎました。その後、鳴海城主の山口教継が織田方を離れ駿河の今川義元に従ったため、義元は大高城を支配しました。信長は鳴海城への圧力を高めるため、鷲津砦を築きました。この砦は、丸根砦と共に大高城と鳴海城との往来を遮断するための重要な拠点でした。
1560年5月19日(永禄3年)、桶狭間の戦い当日、今川方の朝比奈泰朝率いる2,000人の軍勢が鷲津砦を攻撃しました。激しい戦いの末、砦は陥落し、多くの守備兵が命を落としました。
鷲津砦の構造については、いくつかの文献に記録があります。『寛文村々覚書』や『尾張志』によると、砦の規模は東西約25メートル、南北約27メートルとされています。一方、徳川家所蔵の『尾州知多郡大高之内鷲津丸根古城図』では、約37メートル四方の曲輪に東西約30メートル、南北約16メートルの曲輪が堀で囲まれていたとされています。砦の詳細な構造は現在でも議論の対象となっています。
鷲津砦跡は現在、鷲津砦公園やその周辺の雑木林として保存されています。ただし、測量調査や発掘調査は行われておらず、城館の遺構は確認されていません。一部には「鷲津砦阯」の碑が建立されていますが、正確な位置については未解明の部分が多く、明忠院裏山が有力な候補地とされています。
JR東海道本線「大高駅」から東へ徒歩約5分です。公共交通機関を利用して訪れることができるため、アクセスが非常に便利です。