長福寺は、愛知県稲沢市に位置する真言宗智山派の寺院です。その山号は「牛頭山(ごずさん)」と称され、長い歴史と貴重な文化財を有しています。
長福寺の起源は古く、聖徳太子が全国に屯倉御県(みやけ)の制度を敷いた際、牛頭天王を祀るために創建されたと伝えられています。その後、津島神社を別院として造営し、長福寺は別当寺としての役割を担いました。
また、平手政秀の弟である平手政利(のぐちまさとし)が、平手政秀の割腹自殺後、この地にあった朽ち果てた廃寺を再興しました。その後、平手政利の子孫である野口家、杉本家、杉家が長福寺を菩提寺として祀り、今日に至っています。
さらに、宝暦年間(1751年~1764年)には、川の掘割工事を起こして美田を作った水野氏を水天宮として祀るようになりました。また、長福寺は3体の円空仏を所有していることでも知られています。
この像は高さ112.2cmの寄木造で、眼は彫眼、全身には漆箔が施されています。頭部には宝髻を結い、仏面や菩薩面を複数配する造形が特徴です。平安時代後期(12世紀後半)の制作とされ、稲沢市内では3番目に古い彫刻作品です。
また、この像は中世以前まで遡る唯一の千手観音像であり、地域の文化的価値を高める重要な存在となっています。
仁王門は間口6.7m、奥行3.95mの入母屋造、平屋建の瓦葺建築です。もともと楼門造りとして計画されましたが、何らかの理由で平屋建てに変更されたことが母屋の痕跡から確認できます。この門は永禄年間(1558~1570)に平手政秀の子である五郎右衛門が建立したと伝えられています。
仁王像は各像の高さが2.6mで、寄木造による力強い造形が特徴です。内部には「奉再興、仁王金剛神尊像両躰成就所、壬申中春吉祥日 無洗法師 寄進」という墨書銘が確認され、これにより仁王像の再建時期が推定されています。
長福寺が保管する文書は、稲沢市指定文化財となっています。その中には元禄7年(1694年)から明治4年(1871年)に至るまでの宗門一札235通や、正徳3年(1713年)から明治7年(1874年)にわたる願達類135通が含まれます。
宗門一札は、村人が移住する際に新旧の庄屋や寺院間で取り交わされたもので、当時の社会や宗教的な慣習を知る重要な資料です。また、願達類には本尊の開帳願、堂塔修復願、金銭借用願など、寺院運営に関する多岐にわたる内容が記録されています。
長福寺へのアクセスは以下の通りです。
歴史と文化に彩られた長福寺は、訪れる人々に深い感銘を与える場所です。その壮麗な文化財や歴史的背景を堪能しながら、ぜひその魅力を体感してください。