古木江城は、かつて尾張国海西郡(現在の愛知県愛西市)に存在した日本の城で、小木江城とも表記されます。この城は戦国時代に重要な役割を果たし、織田信長の弟・織田彦七郎信興が築城したと伝えられています。現在では遺構はほとんど残っていませんが、城の鎮守であったと考えられる富岡神社があり、その周辺には美しい蓮の花が咲く「森川花はす田」が広がっています。
古木江城は、永禄年間(1558年~1570年)に織田信長の四男である織田彦七郎信興によって築かれました。この城は、伊勢長島の一向一揆勢力を抑えるための拠点として機能しました。
古木江城は平城(平地に築かれた城)であり、その正確な縄張(城の配置)は不明とされています。現在では城跡は農地(レンコン畑)となっており、遺構は残っていません。
元亀元年(1570年)、織田信長と本願寺の間で「石山合戦」が勃発しました。この影響を受け、長島でも一向一揆の門徒たちが蜂起し、長島城を占拠。その勢いのまま、11月16日に古木江城へ攻め寄せました。
この襲撃を受けた織田信興は、信長や桑名城の滝川一益に援軍を求めました。しかし、信長は当時、浅井長政・朝倉義景の軍勢や比叡山延暦寺の僧兵との戦いにより大津に足止めされており、滝川一益も一向宗勢力に包囲されていたため、援軍を送ることができませんでした。
11月21日、城は陥落し、信興は『信長公記』によると櫓の上で自刃したと伝えられています。しかし、地元の伝承では城外で討ち取られたともいわれています。こうして、古木江城は落城し、以降は廃城となりました。
現在、古木江城の跡地には遺構はほとんど残っておらず、農地として利用されています。しかし、城の鎮守社であったと考えられる富岡神社が現存しており、その境内には「古木江城跡」の石碑が建てられています。
富岡神社の周辺には、毎年美しい蓮の花が咲く「森川花はす田」が広がっています。ここは観光スポットとしても人気があり、夏には多くの人が訪れます。
古木江城に関しては、いくつかの異説が存在します。
宝暦2年(1752年)に編纂された『張州府志』では、織田彦七郎信興の居城を「古川城」と記しており、古木江城とは別の城であったとしています。
一方、天保15年(1844年)の『尾張志』では、この説を否定し、古木江城と古川城を同一の城と見なしています。
愛知県教育委員会の資料では、大森村(現在の愛西市森川町村仲)にあった城を「下古川城(小木江城)」、下古川村(現在の愛西市森川町下古川)にあった城を「古川城」と分類しています。このように、城の名称や位置については歴史的な解釈が分かれる部分があるため、今後の研究が待たれます。
古木江城の落城は、信長にとって大きな衝撃となりました。弟・信興の死は信長の怒りを買い、一向一揆勢力に対する弾圧をさらに強める契機となったのです。
その後、信長は長島一向一揆を徹底的に鎮圧し、天正2年(1574年)には長島城を攻略。一向宗の勢力を完全に排除することに成功しました。この一連の戦いは、信長が天下統一へ向けて歩みを進める上で、重要な転換点となりました。
古木江城は、戦国時代において織田信長の弟・信興が築いた城であり、一向一揆との戦いの舞台となりました。現在では城の遺構は残っていませんが、富岡神社が鎮座し、古木江城の歴史を伝えています。また、その周辺には美しい「森川花はす田」が広がり、訪れる人々を楽しませています。
歴史の舞台となったこの地を訪れ、戦国時代の激動の歴史に思いを馳せてみてはいかがでしょうか。