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木曽川大堰 馬飼頭首工

(きそがわ おおぜき まがいとうしゅこう)

木曽川下流部に位置する堰「馬飼頭首工」は、木曽川大堰とも呼ばれ、愛知県稲沢市と岐阜県羽島市の県境に建設されています。この堰は、全長721.5m、幅7.5mの規模を誇り、独立行政法人水資源機構によって管理されています。本体の施工は前田建設工業が担当しました。

馬飼頭首工の概要

木曽川用水下流部の重要な水源として、1976年(昭和51年)に建設された馬飼頭首工。この地点には、かつて「旧・佐屋川取水口」がありましたが、堰の建設に伴い改良され、現在ではここから木曽川用水が流れ出しています。堰の目的は以下の3つに分類されます。

1. 上水道の供給

名古屋市への上水道供給をはじめ、三重県や知多半島方面にも上水道が供給されています。

2. 工業用水の供給

濃尾平野一帯の工業地帯に必要な水を供給する役割を担っています。

3. 灌漑用水の供給

農業用水として、三重用水を通じて三重県の灌漑を支えています。

自然環境保護のための工夫

馬飼頭首工は、木曽川本流の下流部に設置された最後の堰であり、下流は汽水域となる地域です。このため、アユなどの魚類が川を遡上できるよう、堰には魚道が設けられています。この取り組みにより、自然環境保護と生態系の維持に貢献しています。

馬飼大橋としての役割

堰の管理用道路は、岐阜県道・愛知県道134号線として利用され、1976年2月26日より「馬飼大橋」として供用されています。この橋は地域の交通網としても重要な役割を果たしています。

八神渡船の歴史

かつて馬飼頭首工の上流には「八神渡船」(やがみとせん)が運航されていました。この渡し船は、岐阜県羽島市桑原町八神と愛知県稲沢市祖父江町を結んでいましたが、1976年に馬飼大橋が完成したことを機に廃止されました。

渡船の跡地と史跡

八神渡船の跡地には、「八神渡船の跡」という史跡が残されています。この跡地は1977年に羽島市指定史跡となり、1984年には石碑が建立されました。この史跡は、かつての交通手段としての渡し船の歴史を伝えています。

八神渡船の歴史と役割

八神渡船の歴史は江戸時代にさかのぼります。当時、八神城主であった毛利氏は名古屋城への登城のため「八神街道」を整備し、この地に渡しを設けました。さらに、渡しは周辺住民に開放され、木曽川の川湊として栄えました。

明治以降の変遷

明治時代以降、渡船は個人経営から区営、そして県営へと変遷を遂げましたが、1976年の馬飼大橋の完成によりその役目を終えました。

まとめ

馬飼頭首工は、木曽川流域の水資源管理を担う重要な堰として、上水道、工業用水、灌漑用水の供給を行っています。また、八神渡船や馬飼大橋といった交通手段の歴史は、この地域の発展と生活を支えてきました。木曽川の自然と人々の営みを象徴するこの場所を訪れ、地域の歴史と自然環境の大切さを感じてみてはいかがでしょうか。

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名称
木曽川大堰 馬飼頭首工
(きそがわ おおぜき まがいとうしゅこう)

尾張西部・一宮

愛知県