尾張津島天王祭は、愛知県津島市および愛西市で行われる津島神社の伝統的な祭礼です。江戸時代の『東海道名所図会』には「津島祭」として記載されており、長い歴史を持つ祭りの一つです。
尾張津島天王祭は、数か月にわたり様々な行事、儀式、神事が行われる大規模な祭礼です。その中でも特に重要なのが、7月第4土曜日の「宵祭(よいまつり)」と、その翌日に行われる「朝祭(あさまつり)」です。この二つの祭礼がクライマックスとなり、多くの観光客や地元の人々が訪れます。
この祭りは、「尾張津島天王祭の車楽舟行事」として重要無形民俗文化財に指定されており、2016年(平成28年)12月1日には「山・鉾・屋台行事」の一つとしてユネスコの無形文化遺産にも登録されました。また、大阪の天満天神祭、厳島神社の管絃祭と並び、「日本三大川祭」の一つに数えられています。
尾張津島天王祭の正確な創始年代については、詳しい史料が残されていないため不明ですが、現存する資料から15世紀から16世紀ごろに始まったと推測されています。祭りの由来については、主に以下の三つの説があります。
南北朝時代、後醍醐天皇の曾孫である良王親王が津島に逃れました。これを守っていた津島の四家七苗字の武士たちを、北朝方の佐屋村の武士・台尻大隈守が船遊びを名目に討ち取ったことから、この祭りが始まったとされる説です。
須佐之男命が西の海から市江島(現在の愛西市東保町)に着船した際、草刈りをしている子供たちの遊ぶ姿を見て、「児の舞」と「津島笛」の譜を作りました。その後、疫病が流行した際に神を慰めるために祭りが行われるようになったという伝説です。
京都の神泉苑で行われていた御霊鎮めの祭事「御よし流し」が、次第に地方へと広がり、津島でも行われるようになったという説です。この祭事では、川辺に生えている葦に人々の罪や穢れを託し、それを川へ流すことで清めるという信仰がありました。
宵祭は、幻想的な提灯の明かりが天王川公園の池に映える美しい祭りです。津島の五か村(堤下・米之座・今市場・筏場・下構)から5艘の巻藁舟(まきわらぶね)が出されます。巻藁舟には365個(1年の日数を表す)の提灯が飾られ、中央には1本の真柱が立ち、そこには12個(1年の月数を表す)の提灯が掲げられます。
これらの提灯に明かりが灯されると、津島笛の音色とともに舟がゆっくりと天王川公園の池を渡ります。揺らめく提灯の光が川面に映り、その幻想的な光景が訪れた人々を魅了します。舟が御旅所に到着すると、乗船者たちは船を降り、津島神社から移された神輿(みこし)に拝礼します。
朝祭は、宵祭とは一変し、迫力ある勇壮な祭りとなります。まず、旧市江村(現在の愛西市東保町)の「市江車」を先頭に、5艘の車楽船(しゃがくせん)が続き、計6艘の船が登場します。これらの船には、能の演目を再現した「置物(おきもの)」が飾られ、古楽の演奏とともに進みます。
最も見どころとなるのは、市江車から10人の若者たちが締め込み姿で天王川に飛び込み、布鉾(ぬのほこ)を持って泳ぎながら神前へと奉納する場面です。水しぶきを上げながら川を泳ぎ渡るその姿は、観る者に強い感動を与えます。
その後、6艘の車楽船から稚児(ちご)が御旅所へ渡り、神輿還御祭(みこしかんぎょさい)が行われます。最後に、津島神社の本殿へ戻る神輿とともに練り歩き、神前で稚児による神楽の奉納が行われ、祭りは幕を閉じます。
2023年の尾張津島天王祭は、7月22日・23日に開催されました。近年は台風や新型コロナウイルスの影響により中止や規模縮小が続いていましたが、この年は6年ぶりに通常開催となり、多くの人々が訪れました。
尾張津島天王祭は、長い歴史を持つだけでなく、地元の人々の強い誇りと熱意によって受け継がれてきた貴重な文化遺産です。ユネスコ無形文化遺産に登録されたことにより、今後ますます国内外からの注目を集めることが予想されます。これからも、この美しい祭りが後世に伝えられ、多くの人々に愛され続けることを願ってやみません。