正琳寺は、愛知県稲沢市祖父江町森上本郷に位置する真宗大谷派の仏教寺院です。山号は「野田山」、本尊は阿弥陀如来で、八神街道が境内南側を通っています。この寺院は歴史的な建造物や文化財を多く有し、地域の歴史と文化を伝える重要な役割を果たしています。
正琳寺の本尊である阿弥陀如来は、人々の救済を願う仏として信仰されています。この寺院は地域住民だけでなく、訪れる観光客にとっても親しまれており、寺院を取り囲む景観や文化財が見どころのひとつとなっています。
正琳寺の起源は、かつて大和国宇智郡(現在の奈良県)にあった「観寂寺」として知られる天智天皇の勅願所に遡ります。本尊である阿弥陀如来は、天智天皇の手によるものと伝えられています。その後、寺院は転々と移り、尾張国中島郡千代田村(現在の愛知県稲沢市)に新たに堂宇が建立されました。
戦国時代には、正琳寺は織田信長や豊臣秀吉と関係を持ちましたが、石山合戦で本願寺に味方したために寺領を没収される苦難を経験しました。その後、天正の兵火で焼失しましたが、正保3年(1646年)に現在の中島郡森上村に移転されました。この時代、正琳寺は「尾張六坊」のひとつに数えられ、多くの塔頭寺院を有していましたが、後に多くが離散または荒廃しました。
明治時代には、1891年の濃尾地震で本堂が倒壊する被害を受けましたが、1896年に再建され、1898年に改修が行われました。現在では、歴史的建造物や文化財が保護・保存され、地域の文化遺産として受け継がれています。
正琳寺の入口を飾る山門は、寺院の格式を感じさせる荘厳な造りです。
本堂は、正琳寺の中心的な建物であり、阿弥陀如来が安置されています。明治時代に再建されたこの本堂は、歴史を感じさせる趣があります。
鐘楼には、1959年に京都で鋳造された梵鐘が納められています。この鐘の音響設計には京都工芸繊維大学の青木一郎氏が関わり、澄んだ音色が特徴です。
この石碑は、祖父江町における植樹業の祖である八木乾吉の功績を讃えるものです。1939年に建立されました。
1901年に尾西鉄道(現在の名鉄尾西線)で亡くなった人物9人を慰霊するために建てられた石碑です。もともとは森上駅にありましたが、後に正琳寺へ移されました。
境内には、仏教に縁深い沙羅双樹も植えられており、訪れる人々に自然の美しさと安らぎを提供しています。
この絵画は、文禄4年(1595年)に本願寺第12世教如上人から正琳寺の慶心に下附された顕如の画像です。保存状態が良く、寺の歴史を物語る貴重な文化財です。
この書跡は、慶長6年(1601年)に教如上人が徳川家康を訪問した際の礼状であり、本願寺と尾張国、美濃国の関係を示す重要な史料です。
正琳寺へのアクセスは、名鉄尾西線の森上駅から徒歩で訪れることができます。周辺には地域の歴史や文化を感じられるスポットが多く、散策にも最適です。