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起宿

(おこしじゅく)

起宿は、美濃路の宿場の一つで、現在の愛知県一宮市起(おこし)に位置しています。木曽川沿いにあり、尾張国と美濃国の境にあたる交通の要所として栄えました。

概要

起宿は木曽川に設けられた渡船場が特徴で、上の定渡船場、中の宮河戸、下の船橋河戸の3か所で渡し船が運行されていました。特に船橋河戸では、将軍の上洛や朝鮮通信使の通行時に、約270隻の船を使用して長さ約800メートルの船橋が架けられる壮観な光景が見られました。

最寄り駅とアクセス

現在、起宿の近くに鉄道駅はありません。最寄り駅として挙げられるのは、名鉄尾西線の奥町駅です。また、最寄りのバス停は名鉄バス「起」停留所で、名鉄一宮駅からのバスが利用できます。

かつては、路面電車である名鉄起線が新一宮駅西の八幡町駅から起駅間を運行していました。乗客数の増加傾向は見られたものの、敷地や予算の問題から複線化が困難であったため、1953年(昭和28年)に廃止されました。

史跡・みどころ

本陣跡

本陣の11代目であった加藤磯足は、本居宣長の門人として知られています。

脇本陣

脇本陣は林家が所有しており、立教大学名誉教授の林英夫の生家としても有名です。1891年(明治24年)の濃尾地震で倒壊しましたが、翌年に再建されました。現在の建物は江戸時代後期の建築様式をほぼそのまま残しています。一宮市尾西歴史民俗資料館別館として利用されています。

旧湊屋

起渡船場にあった湊屋は、現在は茶店として親しまれています。

隣の宿

美濃路における隣の宿は、萩原宿と墨俣宿です。なお、起宿と墨俣宿の間に位置する南宿村(現・羽島市足近町南宿)には「間の宿」が設置されていました。

朝鮮通信使について

朝鮮通信使(ちょうせんつうしんし)は、室町時代から江戸時代にかけて朝鮮から日本へ派遣された外交使節団です。正式名称を朝鮮聘礼使(ちょうせんへいれいし)といい、日朝間の友好の証として重要な役割を果たしました。

朝鮮通信使の歴史

朝鮮通信使の起源は、1375年(永和元年)に足利義満が派遣した日本国王使への返礼として、当時の高麗王朝が使者を派遣したことに始まります。15世紀半ばには一時途絶えましたが、安土桃山時代に再び派遣が行われました。しかし、文禄・慶長の役による国交断絶の影響で中断され、江戸時代に再開されました。

江戸時代の役割

江戸時代の朝鮮通信使は、江戸幕府の威信を示す重要な外交行事でした。また、文化交流のきっかけともなり、日本と朝鮮の間で文学や美術、学問の交流が行われました。江戸幕府は朝鮮通信使を正式な国交のある通信国として琉球王国と並ぶ重要な存在と位置づけていました。

名称と意義

「朝鮮通信使」という表現は、学術用語として使用されており、史料上では「信使」や「朝鮮信使」とも記されています。江戸幕府では「貢物を献上する」という意味を含む「来聘」という表現を用い、朝鮮通信使の来日を「来聘使」と称していました。

朝鮮通信使は、外交政策の象徴であると同時に、日本と朝鮮の友好関係を深める貴重な文化交流の場でもありました。

Information

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起宿
(おこしじゅく)

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