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光泉寺(常滑市)

(こうせんじ)

愛知県常滑市に位置する光泉寺は、真宗大谷派に属する歴史ある寺院です。山号は松林山と称され、阿弥陀如来を本尊として祀っています。静寂に包まれた境内は、訪れる人々に安らぎと歴史の深みを感じさせる場所として親しまれています。

歴史の始まりと開山

光泉寺の創建は応仁元年1月(1467年)に遡ります。開山は、沸然上人(ふつねんしょうにん)で、彼は藤原朝臣の出身と伝えられています。常滑市の記録である「常滑市誌」には、正式な創建時期が文明7年(1475年)より少し前とされており、沸然上人の晩年にあたる時期と推定されています。

兵火による焼失と再興

永禄年間(1558年〜1570年)に、光泉寺は戦乱による兵火により焼失の憂き目に遭います。しかし、その後、賢了庵釈秀天によって見事に再興されました。この再興により、寺院としての機能と信仰の場としての役割が再び強化されました。

徳川家との深い縁

光泉寺は、徳川家との深い縁を持つことでも知られています。中興二世の時代には、光泉寺の関係者が伝通院(徳川家康公の生母、於大の方)の御乳母となりました。この由緒により、徳川家康公から以下の貴重な品々が下賜されています。

徳川家康公からの御品

さらに、伝通院の御位牌は、現在でも光泉寺に安置されており、歴史的な価値を今に伝えています。

歴史の中の逸話

本能寺の変(1582年)の際には、徳川家康公が三河への帰途、大野へ上陸し、成岩の常楽寺に立ち寄られたと伝わります。その折、記念として薙刀が光泉寺に残されたとされており、これもまた徳川家との縁の深さを物語る逸話です。

徳川義直公と光泉寺

慶長13年10月(1608年)には、光泉寺に対して境内地2反5畝歩が拝領されました。さらに、元和3年(1617年)には、尾張藩初代藩主の徳川義直公が知多郡を巡視した際、先々の縁故を通じて光泉寺に立ち寄られました。その際に下賜された品々は、伝通院の御菩提を弔うためのものでした。

徳川義直公からの御品

徳川光友公の訪問と寄進

万治2年(1659年)には、尾張藩二代藩主である徳川光友公が御鷹野(狩猟)の際に光泉寺に立ち寄られました。その際にも、貴重な品々が下賜されています。

徳川光友公からの御品

寺号と山号の変遷

光泉寺は、江戸時代初期までは浄泉寺と呼ばれていました。中期には大野の光明寺の末寺として位置づけられていました。その後、寛文9年(1669年)頃に、様々な事情から現在の寺号である光泉寺へと改称されました。また、文政5年9月(1822年)には、正式に松林山の山号を申請し、今日に至っています。

交通アクセス

鉄道をご利用の場合

光泉寺へお越しの際は、名古屋鉄道常滑線をご利用ください。大野町駅で下車し、徒歩約35分で到着します。道中は常滑市の自然豊かな風景を楽しむことができるため、散策にもおすすめです。

お車をご利用の場合

お車でお越しの場合は、セントレアラインをご利用ください。常滑インターチェンジから車で約10分の距離に位置しています。駐車場も完備されており、アクセスが便利です。

まとめ

光泉寺は、愛知県常滑市における歴史と信仰の中心地として、多くの人々に親しまれてきました。徳川家との深い縁や、戦火からの復興といった歴史的背景を持ち、訪れる人々に悠久の歴史と精神的な安らぎを提供しています。ぜひ一度、静かで荘厳なこの場所を訪れ、歴史の息吹と伝統の美しさをご堪能ください。

Information

名称
光泉寺(常滑市)
(こうせんじ)

知多半島・常滑

愛知県