善導寺は、愛知県知多郡東浦町にある浄土宗の寺院です。山号は「海鐘山」、院号は「悟真院」と称し、本尊として阿弥陀如来を祀っています。特に、徳川家康の母である於大の方(おだいのかた)ゆかりの寺院として知られています。
善導寺の創建は1443年(嘉吉3年)に遡ります。開山は音誉聖観(おんよしょうかん)とされていますが、一方で『尾張志』という文献では、開山を信誉(しんよ)上人とし、創建年については不明確であると記されています。
1550年(天文19年)、宝誉(ほうよ)和尚によって中興され、さらに1605年(慶長10年)には、緒川藩藩主・水野分長(みずのわけなが)によって現在の地に移されました。この移転以降、善導寺は地域の重要な寺院としての役割を担い、特に徳川家と深い関係を持つようになりました。
徳川家康の母・於大の方は、この寺を生まれ故郷の菩提寺として大切にし、生涯にわたって信仰を寄せました。寺には於大の方が寄進した三尊阿弥陀如来像、柄香炉(えこうろ)、夜着(よぎ)などの貴重な品々が保管されており、彼女と家康の位牌も祀られています。
善導寺には、「異国降伏祈願施行状(いこくこうふくきがんせぎょうじょう)」と呼ばれる貴重な文書が残されており、これは愛知県指定有形文化財に指定されています。これは、戦国時代の歴史や外交の一端を知ることができる貴重な資料となっています。
前述の三尊阿弥陀如来像や柄香炉は、於大の方が寺に寄進したものであり、当時の宗教観や信仰の姿勢を知ることができます。特に、彼女の夜着は、戦国時代の女性がどのような生活を送っていたかを垣間見ることができる貴重な遺品です。
於大の方は、1528年(享禄元年)に尾張国知多郡の豪族・水野忠政と華陽院(於富)の間に生まれました。父・忠政は緒川城を拠点とし、三河国にも所領を有していました。
1541年(天文10年)、松平広忠(まつだいらひろただ)と結婚し、翌年には岡崎城で長男・竹千代(後の徳川家康)を出産しました。しかし、1544年(天文13年)、松平家と水野家の関係悪化により、広忠と離縁され、実家の三河国刈谷城へ戻ることとなりました。
1547年(天文16年)、於大の方は知多郡の坂部城主・久松俊勝(ひさまつとしかつ)と再婚し、彼との間に3男4女をもうけました。しかし、彼女は家康との関係を絶やすことなく、陰ながら支え続けました。
1560年(永禄3年)、桶狭間の戦いを経て家康が独立すると、俊勝と於大の方の3人の息子は松平姓を名乗り、家康の家臣となりました。その後、彼女は家康の元へ戻り、岡崎城で過ごしました。
夫・俊勝の死後、於大の方は出家し、伝通院(でんつういん)と号しました。1602年(慶長7年)、家康の政治活動を支えるために上洛し、後陽成天皇や豊臣秀吉の正室・高台院にも謁見しました。
同年8月29日、伏見城で75歳の生涯を閉じ、翌年、江戸の小石川にある傳通院(伝通院)に葬られました。彼女の遺徳を偲び、東浦町では「於大公園」を整備し、毎年「於大まつり」を開催しています。
善導寺は愛知県知多郡東浦町に位置し、東浦町の歴史と文化に触れることができる貴重な観光スポットです。
善導寺は、浄土宗の歴史ある寺院であり、徳川家康の母・於大の方と深い関わりを持つ場所です。文化財や於大の方の遺品が多く残されており、歴史を学びながら参拝できる魅力的なスポットです。東浦町を訪れる際には、ぜひ立ち寄ってみてはいかがでしょうか。