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村木神社

(むらき じんじゃ)

村木神社は、愛知県知多郡東浦町に鎮座する神社です。長い歴史を持ち、戦国時代には織田信長が本陣を置いたとされる場所としても知られています。また、毎年9月の最後の日曜日に行われる「おまんと祭り」は、地域の伝統行事として多くの人々に親しまれています。

村木神社の由緒

創建の歴史

村木神社の創建時期については詳しい記録が残っていませんが、古くから津島社があったことが知られています。延徳3年(1491年)には社殿が再建された記録があり、地域の信仰を集めていたことがうかがえます。

村木神社への改称

かつて現在の森岡保育園の場所には、水野信元の家臣が創建した八幡社がありました。しかし、大正2年(1913年)、この八幡社が津島社に合祀され、「村木神社」として新たな名称で祀られるようになりました。

村木砦の戦いと信長の本陣

天文23年(1554年)に発生した「村木砦の戦い」では、織田信長がこの地域に本陣を置いたと伝えられています。この戦いは、織田氏と今川氏の間で繰り広げられた攻防の一つであり、村木神社の周辺は歴史の舞台となりました。

村木神社の例祭

東浦町無形民俗文化財「おまんと祭り」

村木神社では、「森岡の村木神社おまんと祭り」が毎年9月の最後の日曜日に開催されます。この祭りは、若衆が走る馬に飛びついて人馬一体となる勇壮なもので、古くから続く伝統行事です。

おまんと祭りの起源

この祭りは、尾張地方や三河地方の一部で行われていた豊作祈願・村民安全祈願のための祭礼の一環として始まりました。馬を飾り立てて神社に奉納する祭りであり、「馬の塔(おまんと)」とも呼ばれています。

永禄3年(1560年)、桶狭間の戦いで織田信長が今川義元を討ち取った際、村人たちが戦勝を祝うために清洲城へ馬を走らせたのが始まりとされています。その後、この習慣が各村の神社の祭礼行事として定着し、現在の「おまんと祭り」の形になりました。

勇壮な馬駆け

村木神社のおまんと祭りの見どころは、疾走する馬に若衆が飛びつく「馬駆け」です。この勇壮な演目は、明治中期ごろから始まったとされ、現在でも多くの観客を魅了しています。

村木砦の戦い(1554年)

村木砦の戦い(むらきとりでのたたかい)は、天文23年1月24日(1554年2月25日)、尾張国で発生した戦いです。織田信長が今川義元の軍勢と戦った歴史的な戦いであり、村木神社周辺もその舞台となりました。

戦闘前の情勢

天文18年(1549年)、今川氏が三河国の安祥城を占領すると、織田氏の影響力は弱まりました。結果として、織田信秀と今川義元の間で和議が結ばれましたが、信秀の死後、その息子である信長は和議を破棄し、再び戦いを開始しました。

その後、今川氏は水野氏を討つために兵を進め、知立市の重原城を攻め落とし、東浦町の村木に砦を築きました。これに対抗するため、信長は村木砦を攻めることを決意しました。

織田信長の出陣

信長は義父の斎藤道三に援軍を求め、天文23年1月18日(1554年2月19日)、斎藤道三の部下である安藤守就ら1000人の兵が尾張に到着しました。信長は海を渡り、緒川城に到着して戦いの準備を整えました。

戦闘の展開

天文23年1月24日(1554年2月25日)、信長は村木砦に攻撃を開始しました。本陣は村木神社周辺に置かれ、織田軍は東西南の三方から砦を攻めました。

信長は鉄砲隊を配置し、狭間から砲撃を繰り返しながら手勢を堀に登らせました。やがて砦側の負傷者が増え、戦いの末、村木砦は降伏しました。この戦いで織田軍にも多くの死者が出たと伝えられています。

戦いの結末とその後

戦闘は申の下刻(16時20分)ごろに終了し、翌日、信長は寺本城へ手勢を派遣して城下に放火しました。その後、信長は那古野城へ帰還し、戦いを終えました。

村木神社の現在

現在の村木神社は、歴史的な背景を持ちながら、地域の人々に親しまれる神社としての役割を果たしています。例年行われる「おまんと祭り」には、多くの参拝者が訪れ、伝統文化の継承が続けられています。

アクセス情報

村木神社へのアクセスは、JR武豊線の「緒川駅」から徒歩約15分の距離にあります。周辺には歴史を感じられるスポットも多く、散策を楽しむのもおすすめです。

まとめ

村木神社は、古くからの信仰の場でありながら、戦国時代の歴史の舞台ともなった貴重な神社です。また、「おまんと祭り」などの伝統行事を通じて、現在も地域の人々に愛され続けています。歴史や文化に興味のある方には、ぜひ訪れてほしいスポットです。

Information

名称
村木神社
(むらき じんじゃ)

知多半島・常滑

愛知県