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大野海水浴場

(おおの かいすい よくじょう)

大野海水浴場は、愛知県常滑市大野町に位置する歴史ある海水浴場で、伊勢湾に面した美しい海岸線が広がっています。この海岸は大野海岸と呼ばれ、古くから人々に親しまれてきました。長い歴史とともに、文化的な背景や地域の発展と密接に関わりながら、多くの人々に愛されてきた場所です。

潮湯治の歴史と文化的意義

この地の歴史は非常に古く、鎌倉時代初期には鴨長明が1210年(承元4年)または1211年(建暦2年)に大野を訪れ、次の和歌を詠んだことが記録に残されています。

生魚の 御あへもきよし 酒もよし 大野のゆあみ 日数かさねむ

この「ゆあみ」とは、当時行われていた潮湯治(しおとうじ)のことを指し、海水に浸かることで心身の健康を整える療法とされていました。これをもとに、大野海水浴場は「世界最古の海水浴場」と称されることもあります。ただし、実際に海中に浸かっていたのか、温めた海水を別の場所で利用していたのかは明確にはわかっていません。

徳川家との関わりと江戸時代の潮湯治

慶長3年(1598年)には、武蔵国忍藩主であった松平忠吉が腫物の治療のためにこの地を訪れ、兄の徳川秀忠が見舞い状を送った記録が残っています。その後、忠吉が尾張国清洲藩主となった後も再びこの地を訪れ、治療に努めたとされています。

江戸時代末期には、『尾張名所図会』において潮湯治の様子が描かれています。人々が海水に浸かる姿や、浜辺に寝そべり体を休める様子が描かれており、当時の風景を伝える貴重な資料となっています。潮湯治はさまざまな病に効くと信じられ、多くの人々が健康回復のためにこの地を訪れました。

近代における海水浴場としての発展

明治14年(1881年)には、愛知県医学校(現・名古屋大学医学部)の院長であった後藤新平が大野を訪れ、『海水功用論』を著しました。これにより、大野海岸は医療保健的に優れた場所として注目され、愛知県令(知事)の支援のもと、海水浴場としての開発が進められました。

その後、随筆家の寺田寅彦が身体の虚弱を克服するためにこの地で潮湯治を行ったことでも知られています。この頃から、海浜館恩波楼などの潮湯治旅館が建設され、近代的な海水浴場として発展していきました。

鉄道開通による発展と大正期の繁栄

1912年(明治45年)には愛知電気鉄道が常滑線(現・名鉄常滑線)を開業し、名古屋市からのアクセスが大幅に向上しました。このことにより、大野海岸は名古屋市民にとって人気のレジャースポットとなり、多くの観光客で賑わいました。

大正時代には、新聞社との提携によって納涼桟橋人造海水大滝児童海水プールなどの施設が建設され、地域の海水浴文化をさらに盛り上げました。また、1925年(大正14年)には『新舞子・大野・新須磨海水浴案内』が発行され、知多半島の海水浴場が広く紹介されるようになりました。

戦後の隆盛と環境問題

昭和25年(1950年)の夏には、連日5万人もの海水浴客が訪れ、砂浜や海中は人であふれかえりました。しかし、高度経済成長期に入り、名古屋港周辺の工業地帯の発展に伴って水質が悪化し、1970年(昭和45年)には「D」判定(海水浴場として不適)を受ける事態となりました。この影響で、海水浴客は20万人から8万人に急減しました。

近年の復興と自然との共生

その後、環境改善の取り組みが進められ、水質は徐々に回復。2000年代には年間約3万人の海水浴客が訪れるまでに回復しました。2005年(平成17年)には、アカウミガメが産卵のために大野海岸に上陸し、約90匹の子ガメが孵化するという自然の奇跡が見られました。

さらに、2011年(平成23年)東日本大震災後、砂浜を失った宮城県の菖蒲田海水浴場に対して、大野海水浴場から600キログラムもの砂が贈られるなど、地域間の支援と絆も見られました。

周辺の見どころとアクセス情報

周辺施設

アクセス

大野海水浴場へのアクセスは非常に便利です。名鉄常滑線 大野町駅から徒歩で訪れることができ、公共交通機関を利用することで気軽に足を運ぶことができます。

まとめ

大野海水浴場は、その美しい海岸線だけでなく、歴史と文化、そして地域の絆が息づく場所です。長い歴史の中で育まれた伝統と自然の豊かさを感じながら、訪れる人々に癒しと楽しみを提供しています。日常の喧騒から離れ、自然と歴史に触れるひとときをぜひ大野海水浴場でお過ごしください。

Information

名称
大野海水浴場
(おおの かいすい よくじょう)

知多半島・常滑

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