三光院は、愛知県常滑市に所在する時宗の寺院であり、正式には松尾山三光院と称されます。本尊として聖観世音菩薩を安置し、知多四国八十八ヶ所霊場の第67番札所にも指定されています。歴史あるこの寺院は、長い年月の中で多くの試練を乗り越え、今日に至るまで信仰の場として大切に守られてきました。
三光院の創建は正和3年(1314年)に遡ります。この寺院は、もともと小倉山蓮台寺の塔頭寺院(たっちゅうじいん)のひとつとして建立され、十七坊の中の一つとして鬼門除けの役割を担っていました。当時、蓮台寺は花園天皇の勅願により、知多半島を治めていた一色氏の庇護を受けて建てられた由緒正しい寺院でした。
しかし、戦国時代の戦乱により蓮台寺の多くの建物が焼失し、その中で三光院のみが現存しています。その後、三光院は一色氏や佐治氏といった地元の領主によって保護され、地域の信仰の中心として大切にされてきました。
慶長5年(1600年)、九鬼水軍の侵攻によって寺院は焼失しましたが、その後再建され、平成24年(2012年)には建物の老朽化に伴い、親寺である蓮台寺の境内に移転しました。この移転により、三光院は新たな形でその歴史と伝統を受け継いでいます。
三光院の名は、寺院に安置されている三尊仏に由来します。その三尊仏とは、阿弥陀如来、聖観世音菩薩、そして不動明王です。これら三つの尊像が「三光」として崇められ、それが寺院名となったと伝えられています。
特に本尊である聖観世音菩薩は、平安時代末期に制作されたとされる貴重な木造立像で、一木造(いちぼくづくり)で彫眼(ちょうがん)という技法が用いられています。この像は常滑市の指定文化財として認定されており、その歴史的価値は非常に高いものとされています。
三光院には、数多くの歴史的エピソードや伝承が残されています。特に有名なのは、大野城の初代城主である佐治宗貞公の墓所である寿山塚です。この墓所は、病気平癒のご利益があるとされ、多くの参拝者が訪れています。
また、大野城落城の際に逃げ延びた城主の奥方をかくまったとされる「開かずの門」も境内に残されています。さらに、奥方が身を隠すために、井戸に身を投げたふりをして、その際に着ていた衣を松の枝に掛けたという伝説が残る「衣掛けの松」も見どころの一つです。
親寺である蓮台寺の周辺にも、数々の歴史的な名所があります。中でも有名なのは、「勅使橋」と「上皇橋」です。これらの橋は、かつて花園天皇の勅使が訪れた際に渡られたとされる橋で、長い歴史を感じさせる場所です。
三光院には、貴重な文化財が多数残されています。特に、聖観世音菩薩像は、知多四国霊場の札所として多くの巡礼者に信仰されており、その美しさと荘厳さは訪れる人々を魅了します。
また、この観音像には興味深い伝承が伝わっており、かつて半田市成岩の常楽寺から、夢のお告げによって三光院に移されたとされています。このような伝承は、地域の歴史と深く結びついており、訪れる人々に古き良き日本の信仰の在り方を感じさせます。
平成24年(2012年)、三光院は老朽化に伴い、蓮台寺の境内に移転しました。現在でもその歴史と伝統を受け継ぎ、多くの参拝者に愛されています。時宗の教えを大切にしながら、地域の人々との絆を深める場として、信仰の中心であり続けています。
また、蓮台寺境内に移転したことにより、参拝者はより多くの史跡に触れることができるようになりました。寺院全体が、歴史と文化が融合した神聖な空間として、多くの人々に親しまれています。
三光院は、700年以上の歴史を誇る由緒ある寺院です。その長い歴史の中で、地域の信仰の中心として守られ、数々の伝承や文化財を今に伝えています。聖観世音菩薩像をはじめとする貴重な文化財や、佐治宗貞公の墓所、開かずの門など、多くの見どころが存在します。
訪れる人々は、三光院の静かな境内で歴史の重みと信仰の深さを感じることができるでしょう。常滑市を訪れた際には、ぜひ三光院を訪れて、その歴史と文化に触れてみてください。