常滑焼は、愛知県常滑市を中心に、その周辺地域を含む知多半島で作られる伝統的な炻器(せっき)です。日本六古窯の一つに数えられ、長い歴史と独自の技術、そして深い文化的な背景を持つ焼き物として広く知られています。その美しい自然釉や、力強さと素朴さを兼ね備えたデザインは、古くから多くの人々を魅了してきました。
2017年(平成29年)4月29日、常滑焼は、瀬戸焼(愛知県瀬戸市)、越前焼(福井県越前町)、丹波立杭焼(兵庫県丹波篠山市)、備前焼(岡山県備前市)、信楽焼(滋賀県甲賀市)とともに、日本六古窯として日本遺産に認定されました。これらの古窯は、日本の陶磁器文化の発展に大きく寄与し、それぞれが独自の技法と美意識を育んできました。
常滑焼の起源は、平安時代末期(12世紀前半)に遡ります。この時期、猿投窯の南部に位置する灰釉陶器窯(はいゆうとうきよう)の伝統を受け継ぎながらも、新たに大型の壺や甕(かめ)を中心に生産されるようになりました。これにより、常滑は中世日本の主要な陶器生産地の一つとなり、全国的に名を馳せることとなりました。
当時の常滑焼は、奥州平泉の遺跡群から大量に出土しています。これにより、常滑焼が遠く東北地方にまで流通していたことが分かります。また、経塚などの仏教遺跡でも使用された形跡があり、当時の宗教的儀式においても重要な役割を果たしていました。
鎌倉時代に入ると、素朴で力強いデザインが特徴の壺や甕が大量に生産されるようになりました。鎌倉の遺跡調査では、多数の常滑焼が発掘されており、その流通圏は太平洋沿岸を中心に拡大しました。特に、瀬戸内地方の草戸千軒町遺跡(広島県福山市)からも常滑焼が出土しており、その流通の広がりがうかがえます。
中世における常滑焼の窯跡は、知多半島の丘陵部の斜面に数多く存在しており、その数は1,000基以上、場合によっては数千基に及ぶとされています。これらの窯の多くは、地下に設けられた地下窖窯(ちかしきあながま)という形式で、平安時代末期から南北朝時代までの間に集中して築かれました。
江戸時代に入ると、常滑焼は常滑村、瀬木村、北条村の三か村で盛んに生産されました。特に北条村では多くの窯が設置され、元禄七年の調査では8基が稼働していたことが確認されています。生産品には、真焼(まやけ)と呼ばれる高温で焼き締めた製品と、素焼き状の赤物(あかもの)があり、用途に応じた多様な製品が作られました。
文政年間には、稲葉高道が常滑で初めて急須を作ったとされています。さらに、安政年間には杉江寿門堂が中国の茶壺に近い素材である朱泥の開発に成功し、常滑焼の急須はその後、日本全国で高く評価されるようになりました。
天保年間には、連房式登窯が導入され、これにより常滑焼の大量生産が可能となりました。従来の窯とは異なり、全ての製品が均一に焼き上がるようになり、特に小細工物の生産が盛んになりました。この技術革新により、常滑焼はより多くの需要に応えることができるようになりました。
2017年に日本遺産に認定されたことで、常滑焼は再びその価値が見直されるようになりました。常滑市内には、歴史ある窯跡や工房、展示施設が点在しており、訪れる人々にその伝統と美しさを伝えています。特に、常滑市陶磁器会館やINAXライブミュージアムは、常滑焼の歴史や技法を深く学ぶことができる場所として人気です。
現代においても、常滑焼は単なる伝統工芸品にとどまらず、アート作品としても高く評価されています。多くの陶芸家たちが、伝統技法を基盤にしながらも新たな表現に挑戦しており、現代アートの分野でも注目されています。
常滑市は、焼き物の街としても有名で、常滑やきもの散歩道と呼ばれる観光ルートが人気です。この散歩道では、歴史的な窯跡や陶器をモチーフにしたアート作品が点在しており、訪れる人々は焼き物文化の深さを実感することができます。また、地元の陶器市やワークショップも開催され、観光客にとって魅力的な体験の場となっています。
常滑焼は、その長い歴史と深い文化的背景から、日本を代表する伝統工芸の一つとして高く評価されています。中世から現代に至るまで、絶え間ない技術革新と職人たちの情熱によって育まれてきたその技法は、今なお多くの人々を魅了し続けています。常滑市を訪れることで、その歴史と美しさに触れ、焼き物の奥深い世界を堪能してみてはいかがでしょうか。