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正法寺(南知多町)

(しょうぼうじ)

鎌田政清ゆかりの古刹

正法寺は、愛知県知多郡南知多町にある天台宗の寺院です。山号は大悲山(だいひさん)。鎌田政清を供養するために建立されたと伝えられ、歴史と文化が息づく場所です。本堂は多宝塔造りであり、南知多町の文化財にも指定されています。

正法寺の由緒

開山と鎌田政清の供養

正法寺の創建は鎌倉時代初期の天福元年(1233年)にさかのぼります。比叡山の高僧・徹円阿闍梨が、源義朝の忠臣である鎌田政清を弔うために建立しました。この地は、もともと鎌田政清の居城跡とされており、本尊の毘沙門天像は政清の念持仏であったと伝えられています。

江戸時代から現代まで

本堂は昭和50年(1975年)に再建されましたが、平成9年(1997年)に不審火により本堂以外が焼失するという悲劇に見舞われました。その後、弘法堂客殿が再建され、現在の姿へと復興しています。

文化財と見どころ

南知多町指定文化財「大般若経」

正法寺には、南知多町指定文化財である「大般若経」(写経)が所蔵されています。この大般若経は昭和60年(1985年)7月1日に文化財指定を受け、今も大切に保存されています。

多宝塔造りの本堂

本堂は多宝塔造りで、1975年に再建されました。歴史の趣を残しながらも、現代的な耐震構造が取り入れられています。荘厳な佇まいが、訪れる人々に深い感銘を与えます。

鎌田政清と正法寺の関係

鎌田政清とは

鎌田政清(かまた まさきよ)は、平安時代末期の武将で、源義朝の第一の郎党として仕えました。母が義朝の乳母であったため、義朝とは乳兄弟のような関係でした。

保元・平治の乱での活躍

保元元年(1156年)の保元の乱では、源義朝に従い戦いました。平治元年(1159年)の平治の乱では義朝と共に奮戦し、内裏占拠後には左兵衛尉に任じられました。しかし、源氏の敗北により義朝と共に東国へ落ち延びることになります。

最期の地・野間大坊

義朝一行は、政清の舅である長田忠致の館に身を寄せました。しかし、忠致は裏切り、義朝を風呂場で暗殺しました。政清も酒を飲まされ油断したところを、忠致の子・景致によって討たれました。享年38でした。

政清の供養と正法寺の建立

鎌田政清の霊を弔うために、彼の居城跡に建立されたのが正法寺です。彼の供養は今も続けられ、歴史と信仰の場として人々に大切にされています。

アクセス情報

所在地

〒470-3412 愛知県知多郡南知多町

アクセス

まとめ

正法寺は、鎌田政清の供養のために建立された歴史ある寺院です。多宝塔造りの本堂や南知多町指定文化財の大般若経など、見どころも多く、歴史と文化を感じられる場所です。また、鎌田政清と源義朝の逸話を知ることで、平安時代末期の動乱の歴史に思いを馳せることができます。南知多町を訪れる際には、ぜひ足を運んでみてはいかがでしょうか。

Information

名称
正法寺(南知多町)
(しょうぼうじ)

知多半島・常滑

愛知県