手織りの里 木綿蔵ちたは、愛知県知多市岡田町にある知多木綿の展示体験施設です。文化財としての正式名称は 「木綿蔵ちた(旧竹内虎王商店木綿蔵)」(もめんぐらちた きゅう たけうち とらおう しょうてん もめんぐら)とされています。 かつて、知多木綿の約70%が知多郡岡田村で生産されていたことから、岡田は「知多木綿のふるさと」とも称されました。
1898年(明治31年)、知多郡岡田村の竹内虎王によって竹内式力織機が発明され、1901年(明治34年)には竹内木綿工場が創業しました。 その後、明治後期から大正初期にかけて、竹内虎王商店の倉庫として木綿蔵が建設されました。
昭和初期には、知多(愛知県)、松阪(三重県)、泉州(大阪府)が「日本の三大綿織物生産地」と呼ばれ、日本国内において重要な綿織物の生産拠点となりました。 その後、竹内虎王商店の倉庫は丸登織布工場へと転用されましたが、1987年(昭和62年)頃には工場が閉鎖されました。
1994年(平成6年)、隣接していた丸登織布の従業員宿舎が取り壊されたことをきっかけに、木綿蔵の保存活用運動が始まりました。 そして1995年(平成7年)7月7日、「手織りの里 木綿蔵ちた」が開館しました。
2014年(平成26年)4月25日には、木綿蔵ちたが登録有形文化財として登録されました。 また、2013年(平成25年)には、隣接する知多岡田簡易郵便局も知多市で初めて登録有形文化財に指定され、木綿蔵ちたは市内2件目の登録有形文化財となりました。
2014年(平成26年)10月には愛知登文会による登録有形文化財の特別公開(後の「あいたて博」)が初めて行われ、木綿蔵ちたや知多岡田簡易郵便局も公開の対象となりました。 また、2017年(平成29年)には、岡田地区において旧中七木綿本店の各建物も登録有形文化財として認められました。
木綿蔵ちたは、知多市岡田地区の南東部に位置し、北側には知多岡田簡易郵便局が隣接しています。
建物は土蔵造の2階建てで、屋根は切妻造・桟瓦葺です。 基礎部分は石積みとなっており、湿気を防ぐために高床構造が採用されています。 外壁には漆喰が塗られ、2か所の出入口が設けられていますが、1階・2階ともに内部は一室構造となっています。
知多木綿(ちたもめん)は、愛知県の知多半島で生産される綿織物(晒木綿)であり、手拭地や絞り地などに用いられます。 「知多晒(ちたさらし)」とも呼ばれ、あいちの伝統的工芸品及び郷土伝統工芸品に指定されています。
また、1979年12月7日には「知多木綿の紡織習俗」が国の記録作成等の措置を講ずべき無形の民俗文化財に選択され、 「知多木綿生産用具及び木綿問屋関係資料」は愛知県の有形民俗文化財として指定されています。
日本における綿栽培の歴史は古く、平安時代初期の延暦18年(799年)に、インド人が三河国幡豆郡に漂着し、綿の種子と栽培方法を伝えたのが始まりとされています。
天正3年(1575年)の長篠の戦いでは、大量の鉄砲が使用されましたが、その火縄には木綿が用いられたため、木綿の需要が急速に増大しました。
江戸時代初期の慶長年間(1596年-1615年)には、駅伝制を利用した江戸への木綿の輸送が始まり、知多半島では佐布里村が主要な生産地となりました。
その後、天明年間(1781年-1789年)には、岡田村の中島七右衛門らが晒の技術を導入し、江戸市場での流通量が飛躍的に増加しました。
昭和初期には、知多、松阪、泉州が「日本の三大綿織物生産地」と称されるほど発展しましたが、太平洋戦争後はアジア諸国への生産移行により、知多木綿は次第に衰退していきました。
1995年(平成7年)7月7日に開館した手織りの里 木綿蔵ちたでは、知多木綿の歴史や伝統を学ぶとともに、手織り体験を楽しむことができます。
2014年(平成26年)には登録有形文化財に指定され、知多木綿の文化を未来へと伝える貴重な施設として、多くの観光客が訪れています。