船津神社は、愛知県東海市名和町に鎮座する由緒ある神社です。日本武尊(ヤマトタケルノミコト)の伝説が残るこの地において、古くから地域の人々に崇敬されてきました。本記事では、船津神社の歴史や祭事、伝説などを詳しくご紹介します。
船津神社は、東海市の名和町に位置し、長い歴史を持つ神社です。境内は緑豊かで、厳かな雰囲気が漂っています。交通の便もよく、名鉄常滑線の名和駅から徒歩11分ほどでアクセスできるため、多くの参拝者が訪れます。
船津神社の歴史は古く、第12代景行天皇の皇子、日本武尊が東征の際、伊勢から海を渡り、この地に上陸したことに由来するとされています。彼が船を松の木に縄で繋いだことが、「名和」や「船津」という地名の由来になったとも伝えられています。
社伝によると、第15代応神天皇の時代(400年頃)に社殿が建立され、「船渡大明神(ふなとだいみょうじん)」の号を賜り、縄三郷の総氏神となったとされています。その後、939年には第61代朱雀天皇の勅命により社殿が造営され、神領として四種田(御供田、土器田、油田、番匠田)が与えられました。
平安時代には、藤原忠文が征夷大将軍として東征する際に船津神社で武運と交通安全を祈願し、その後も国司や地頭の崇敬を受け、多くの人々が天下泰平や五穀豊穣を祈願する場となりました。
1159年には、源義朝の家臣・渋谷金王丸が義朝の首を奪い返そうとする際、船津神社の前で馬が進まなくなるという出来事がありました。これを神威の力と恐れ、一心に祈願した後、愛刀「三条小鍛治宗近」を奉納すると進むことができたとされています。
戦国時代には、1582年に三河国刈谷城主・水野和泉守忠重が社殿の改修費として土地を寄進し、神社の再興が図られました。江戸時代に入ると、尾張藩主・徳川光友が参拝し、宝刀正宗を称賛。さらに、徳川宗睦も初穂金を寄進するなど、尾張藩の厚い庇護を受けました。
こうした歴史を経て、昭和19年(1944年)には郷社に列せられ、現在に至るまで多くの人々に崇敬されています。
船津神社には、古くから多くの伝説が伝えられています。その中でも特に有名なのが、船や馬に関する言い伝えです。
これらの伝説は、神社が長い間、地域の人々にとって特別な存在であったことを示しています。
船津神社のご祭神は以下の三柱です。
特に、日本武尊が東征の際にこの地に立ち寄ったとされることから、彼に対する信仰が篤いとされています。
船津神社では、毎年9月の第4日曜日とその前日に「猩々(しょうじょう)メッタ」と呼ばれる伝統的な祭りが開催されます。この祭りでは、大きな猩々の人形が「バリン」と呼ばれる割れた大竹を持ち、祭囃子とともに町内を練り歩きます。
猩々メッタの特徴は、次のようなものです。
このように、船津神社の祭りは地域に深く根付いた文化の一部となっています。
愛知県東海市名和町船津一番地
船津神社は、日本武尊の伝説や歴史ある社殿、地域に根付いた祭りなど、多くの魅力を持つ神社です。愛知県東海市を訪れた際には、ぜひ立ち寄って、その歴史と伝統を肌で感じてみてはいかがでしょうか。