鹿嶋神社(鹿島神社)は、愛知県海部郡蟹江町大字蟹江新田字鹿島に鎮座する由緒ある神社です。伊勢湾に近い水郷地帯に位置し、古くから地域の人々の信仰を集めてきました。現在も静かな佇まいの中に、開拓の歴史や水と共に生きてきた蟹江の風土、そして文学文化の香りを色濃く残しています。
鹿嶋神社の祭神は、武甕槌命(たけみかづちのみこと)です。武甕槌命は、武勇と勝運の神として広く知られ、また災厄を退け、土地を守護する神としても信仰されてきました。鹿島神宮(茨城県)を総本社とする鹿島信仰は、各地の開拓地や港湾、交通の要衝に広まり、鹿嶋神社もその流れの中で祀られた神社の一つと考えられています。
鹿嶋神社の創建については諸説あります。蟹江町観光協会では、慶長15年(1610年)創建と伝えていますが、『蟹江町誌』によれば、寛永18年(1641年)に常陸国の鹿島神宮から勧請されたと記されています。
蟹江新田一帯は、近世以前には大きな川筋が入り込み、潮の満ち引きによって干潟が現れる海のような土地でした。寛永13年(1636年)に本格的な新田開発が始まり、竿入検地が行われた元禄7年(1694年)頃には、農地としての基盤が整えられていきます。
伝承によれば、蟹江川沿いの自然堤防に葭(よし)が生い茂る「葭山」を切り開き、漁師や百姓たちが住み始めた頃、嵐に遭って漂着した難破船があり、その舟に祀られていた舟神・鹿島大明神をこの地に祀ったのが、鹿嶋神社の始まりとされています。水と共に生き、自然の脅威とも向き合ってきた人々の祈りが、この神社には込められているのです。
鹿嶋神社の境内には、地域の信仰を支えてきた複数の摂末社が祀られています。いずれも江戸時代後期に整えられ、村人の生活と深く結びついてきました。
皇太神宮(寛政12年・1800年)
秋葉社(寛政12年・1800年)
地蔵堂(寛政12年・1800年)
観音堂(文政11年・1820年)
これらの社や堂は、防火・安全祈願、五穀豊穣、子どもの成長など、暮らしに密着した信仰の対象として、今も大切に守られています。
鹿嶋神社を語るうえで欠かせないのが、境内南側に整備された「鹿嶋神社文学苑」です。ここには、蟹江の自然や暮らしを詠んだ26基の句碑が静かに並び、訪れる人にかつての水郷風景を想像させてくれます。
文学苑を築いたのは、蟹江町出身の建築家であり、俳句結社「ねんげ句会」の同人でもあった黒川巳喜です。作家・小酒井不木が創立した「ねんげ句会」に連なる文化人として、黒川巳喜は、急速な近代化や昭和34年(1959年)の伊勢湾台風によって失われつつあった蟹江の原風景を、何とか後世に伝えたいと願いました。
蟹江町は、濃尾平野南部の海抜ゼロメートル地帯に位置し、かつては水田と水路が張り巡らされた水郷の町でした。昭和17年から18年にかけて当地を訪れた作家・吉川英治は、この地を「東海の潮来(いたこ)」と称し、その情趣豊かな景観を愛したと伝えられています。
黒川巳喜は、こうした風景が消えゆくことを惜しみ、昭和43年(1968年)から実に18年もの歳月と私財を投じて、著名な俳人や文化人が詠んだ句を句碑として境内に建立しました。それが、現在の鹿嶋神社文学苑です。
文学苑には、小酒井不木、中村汀女、水原秋桜子、阿波野青畝、山口青邨、山口誓子、稲畑汀子など、日本近代俳句を代表する俳人や、地域に縁の深い文化人の句碑が並びます。それぞれの句には、葭原、水路、舟、干潟といった蟹江ならではの情景が詠み込まれ、土地の記憶を今に伝えています。
句碑を一つひとつ辿りながら歩くことで、かつての蟹江の自然や人々の暮らし、そして水郷ならではの美しさを、静かに感じ取ることができるでしょう。
鹿嶋神社は、単なる神社としてだけでなく、蟹江町の開拓史、水郷文化、文学遺産を一体として体感できる貴重な場所です。静かな境内で手を合わせ、文学苑を散策する時間は、心を落ち着かせ、土地の歴史に思いを馳せるひとときとなります。
近鉄名古屋線近鉄蟹江駅からタクシーでアクセス可能です。駅周辺の散策とあわせて訪れることで、蟹江町の魅力をより深く味わうことができます。
鹿嶋神社は、蟹江の自然と文化、そして人々の祈りが重なり合う場所です。ぜひ現地を訪れ、その静かな魅力と奥深い歴史に触れてみてはいかがでしょうか。