愛知県あま市にある曹洞宗の寺院「菊泉院」は、戦国武将・福島正則の菩提寺として知られています。鎌倉時代に創建され、江戸時代に至るまで地域の信仰の中心として栄えてきました。
菊泉院は、愛知県あま市二ツ寺字屋敷に位置する曹洞宗の寺院であり、瑞祥山(ずいしょうざん)の山号を持っています。戦国時代の名将である福島正則の菩提寺として、歴史的な価値の高い場所です。
菊泉院の創建は鎌倉時代に遡ります。その後、1592年(文禄元年)に禅宗(曹洞宗)として改めて開山されました。江戸時代に入ると、福島正則ゆかりの寺として広く知られるようになり、地域の人々に大切にされてきました。
菊泉院のすぐ南には、福島正則の生誕地があり、彼が清洲城主となった際には、50石の所領がこの寺に寄進されました。福島正則の死後、その家臣である大野平内が正則の位牌と護持仏の毘沙門天立像を奉納したと伝えられています。また、福島正則の甲冑姿の肖像画などが、新居屋村の郷士である赤林孫七郎によって納められています。
菊泉院の山門は、長い歴史を感じさせる重厚な造りとなっており、訪れる人々を厳かに迎えます。禅宗特有の簡素ながらも風格のある門構えが印象的です。
本堂には福島正則にまつわる貴重な仏像や位牌が安置されています。静寂に包まれた本堂で手を合わせると、戦国時代の面影を感じることができます。
菊泉院には、福島正則に関する遺品が多く残されています。特に甲冑姿の肖像画や護持仏の毘沙門天立像は、歴史好きな方にとって見逃せないポイントです。
菊泉院の所在地は以下の通りです。
住所:愛知県あま市二ツ寺字屋敷69番地
福島正則(ふくしま まさのり)は、安土桃山時代から江戸時代初期にかけて活躍した戦国武将であり、大名です。豊臣秀吉の家臣として数々の戦功をあげ、後に広島藩主、信濃高井野藩主を務めました。
福島正則は永禄4年(1561年)、尾張国海東郡二ツ寺村(現在の愛知県あま市)で生まれました。彼の母は、豊臣秀吉の母の妹にあたる人物であり、正則は秀吉と血縁関係を持っていました。母の縁によって若くして秀吉に仕え、小姓として活躍しました。
福島正則は、天正6年(1578年)の三木城攻めで初陣を果たし、その後の山崎の戦いや賤ヶ岳の戦いで大きな功績を挙げました。賤ヶ岳の戦いでは「賤ヶ岳の七本槍」の一人として、特に勇猛な戦いぶりを見せ、5000石の領地を与えられるほどの評価を得ました。
慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いでは、徳川家康の東軍に加わり、西軍の宇喜多秀家勢と激しく戦いました。戦後、家康から尾張清洲24万石の領地を与えられ、大名としての地位を確立しました。
慶長6年(1601年)、福島正則は安芸国広島藩49万8000石の領主となりました。しかし、元和5年(1619年)、幕府からの命令で広島城の無断修築を理由に改易され、信濃高井野藩4万5000石へと転封されました。
正則は高井野で静かな晩年を過ごし、寛永元年(1624年)にこの世を去りました。彼の死後、遺骨は菊泉院に納められ、今もその魂はこの地に眠っています。
菊泉院は、福島正則の菩提寺として歴史的な価値を持つ寺院であり、彼の生涯や功績を偲ぶことができる場所です。戦国時代の名将に興味がある方や、歴史の深い寺院を訪れたい方にとって、菊泉院は必見のスポットです。ぜひ一度、足を運んでみてはいかがでしょうか。