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妙源寺(岡崎市)

(みょうげんじ)

三河地方最古の真宗高田派寺院

妙源寺は、愛知県岡崎市大和町にある真宗高田派の寺院です。山号は「桑子山(そうしざん)」で、本尊は阿弥陀如来です。文暦2年(1235年)に親鸞聖人が当地を訪れたことが創建の起源とされ、三河地方の浄土真宗における歴史的な拠点の一つとして知られています。国の重要文化財に指定されている太子堂(柳堂)をはじめ、多くの歴史的建造物や貴重な寺宝を有する寺院です。

妙源寺の歴史

親鸞聖人の教えと創建

妙源寺の起源は、文暦2年(1235年)に親鸞聖人が関東から帰郷する際に当地を訪れたことに始まります。当地の領主であった安藤薩摩守信平は、親鸞聖人を柳堂(当時は「太子堂」と称された)に招き、その説法を聞きました。親鸞の教えに感銘を受けた信平は、武士の道を捨て仏門に入り、「念信」と改名。その後、正嘉2年(1258年)に寺院を建立し、「明眼寺(みょうげんじ)」と名付けました。

戦国時代と徳川家康との関係

16世紀には、真宗高田派の内部で発生した相続争いにおいて、妙源寺は満性寺とともに真智派の中心寺院として活動しました。しかし、この影響により寺院の権威は次第に衰退していきました。

戦国時代に入ると、三河一向一揆(1563年~1564年)の際に、徳川家康が妙源寺に身を寄せ、危機を乗り越えたと伝えられています。この功績により、家康は寺院に「源」の字を与え、「妙源寺」と改称することとなりました。

江戸時代以降の発展

江戸時代に入ると、妙源寺は徳川家康からの庇護を受け、慶長8年(1602年)9月11日には朱印地30石を賜りました。また、寺院の敷地内には家康ゆかりの武将である安藤直次や高木清秀らの墓があり、歴史的な価値が高い場所としても知られています。

妙源寺の文化財

国の重要文化財

妙源寺には、歴史的価値の高い建造物や美術品が数多く残されています。特に、以下の文化財が国の重要文化財に指定されています。

妙源寺柳堂(太子堂)

現在の柳堂は、建築様式から1400年代前半頃に建立されたものと推定されています。正和3年(1314年)の上葺棟札が寺に保存されており、これは前身の堂のものと考えられています。

絹本著色善光寺如来絵伝(3幅)

1918年(大正7年)4月8日に重要文化財に指定された貴重な絵画です。

絹本著色法然上人絵伝(3幅)

1918年(大正7年)4月8日に指定。

絹本著色親鸞上人絵伝(3幅)

1918年(大正7年)4月8日に指定。

絹本著色光明本尊(3幅)

2014年(平成26年)8月21日に指定。

妙源寺の年中行事

法宝物展観(虫干し法要)

毎年8月7日・8日には、虫干しを兼ねた寺宝の特別展示が行われます。この法宝物展観では、妙源寺に伝わる貴重な絵画や仏具などを間近で見ることができ、多くの参拝者が訪れます。

三河一向一揆と妙源寺

三河一向一揆(みかわいっこういっき)は、戦国時代に三河国の西三河全域で永禄6年(1563年)から永禄7年(1564年)にかけて約半年間続いた一向一揆です。中心勢力となったのは、本證寺(現在の安城市)を本拠とする一向宗の門徒たちであり、松平(後の徳川)家康と激しく対立しました。

この一揆では、妙源寺も一向宗の拠点の一つとなり、家康は一時的に当寺に身を寄せることで難を逃れました。後に家康が徳川幕府を開くと、妙源寺は家康の信頼を受ける寺院となり、長きにわたってその庇護を受けることとなりました。

アクセス情報

最寄り駅からのアクセス

妙源寺は、JR東海道本線「西岡崎駅」から徒歩約200メートルの場所に位置しています。駅からの距離が近く、アクセスしやすいのも魅力の一つです。

車でのアクセス

車で訪れる場合は、岡崎市内の主要道路からのアクセスも良好です。ただし、駐車場の有無については事前に確認することをおすすめします。

まとめ

妙源寺は、三河地方で最も古い浄土真宗高田派の寺院であり、長い歴史と深い信仰の伝統を受け継いできました。戦国時代には徳川家康と深い関わりを持ち、一向一揆の歴史の舞台となったことでも知られています。また、国の重要文化財に指定された柳堂(太子堂)や貴重な仏画を所蔵するなど、文化的価値の高い寺院です。

歴史や文化に興味のある方はもちろん、静かな環境の中で心を落ち着けたい方にもおすすめの場所です。毎年8月の法宝物展観では、貴重な文化財を間近で見ることができるので、訪れる際にはぜひこの時期を狙ってみてはいかがでしょうか。

Information

名称
妙源寺(岡崎市)
(みょうげんじ)

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