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大岡越前守陣屋跡

( おおおか えちぜんのかみ じんやあと)

「大岡裁き」で有名な大岡越前守忠相(おおおか えちぜんのかみ ただすけ)が1万石の大名となった後、西大平藩主大岡家の陣屋が設けられたのがこの地です。江戸時代から明治時代にかけて、西大平藩の中心地として機能しました。

大岡忠相と西大平藩の歴史

忠相は享保2年(1717年)、和歌山藩主であった徳川吉宗が8代将軍に就任すると、その信任を受けて江戸町奉行に抜擢されました。その後、吉宗による「享保の改革」が開始されると、忠相は19年間にわたり司法制度の改革、江戸の治安維持、新田開発、酒匂川の治水工事などに尽力しました。

そして、元文元年(1736年)には大名格の寺社奉行に昇進し、寛延元年(1748年)には奏者番に就任。その功績が認められ、4000石の加増を受け、三河国額田郡西大平(現在の愛知県岡崎市大平町)に1万石の領地を持つ大名となりました。こうして誕生したのが西大平藩です。

江戸町奉行から大名に昇格したのは、江戸時代を通じて忠相ただ一人です。忠相の子孫が代々西大平藩主を務めました。

西大平藩の特徴

西大平藩の藩庁は西大平陣屋に置かれ、石高は1万石でした。忠相の時代、所領は相模国高座郡大曲村(現在の神奈川県高座郡寒川町大曲)など関東各地に分散していましたが、忠相の晩年には所領の統合を申し出ています。

忠相自身は西大平を訪れることなく亡くなりましたが、第3代藩主の忠恒(ただつね)の時代には三河国への所領統合が完了しました。

西大平藩の藩主は江戸に常住し、参勤交代を行わない「定府大名」としての地位を持ちました。そのため、西大平には陣屋のみが設置され、実際に藩主が居住することはありませんでした。

大岡家の本領であった大曲村は代々相伝され、忠相をはじめ歴代藩主の墓所は三河ではなく、神奈川県茅ヶ崎市の浄見寺にあります。

西大平陣屋

西大平陣屋(にしおおひらじんや)は、寛延元年(1748年)に築かれた陣屋で、西大平藩の政治・行政の拠点となりました。現在、その跡地は「陣屋跡広場」として岡崎市教育委員会によって整備されています。

西大平陣屋の特徴

現在も地元の人々によって管理されていますが、整備は進行中であり、さらなる保存・復元が期待されています。

現在の西大平陣屋跡

西大平陣屋跡は観光名所としての価値を持ち、多くの歴史愛好家が訪れる場所となっています。特に、徳川家康の生誕地として知られる岡崎市内にあり、江戸時代の藩政に関心のある人々にとって魅力的なスポットです。

また、毎年4月に開催される「家康行列」の際には、この陣屋跡も注目され、歴史を体感できる貴重な場所となっています。

大岡忠相の功績

司法制度の改革

忠相は江戸町奉行として、民衆の信頼を得る公平な裁判を行いました。「大岡裁き」として語り継がれる名裁きは、単なる伝説ではなく、江戸時代の司法制度における大きな改革の一環でした。

町民の生活改善

江戸の町民が安全に暮らせるよう、火事対策の強化やインフラ整備にも尽力しました。また、物価の安定を図るため、経済政策にも力を入れました。

新田開発と治水事業

農業生産を向上させるため、新田開発を推進し、酒匂川の築堤工事を行いました。これにより、洪水を防ぎ、農民の暮らしを安定させることに成功しました。

西大平陣屋跡の見どころ

高麗門と白壁

かつての陣屋の門として使用されていた高麗門が復元され、往時の姿を偲ぶことができます。白壁も整備されており、当時の陣屋の雰囲気を感じられます。

庭園と井戸

発掘調査によって確認された井戸を中心に、美しい庭園が整備されています。江戸時代の陣屋の景観を再現する工夫がなされており、歴史的な趣を楽しむことができます。

歴史資料の展示

西大平藩や大岡忠相に関する資料が展示されており、藩政や江戸時代の政治・司法に関する知識を深めることができます。

まとめ

西大平陣屋跡は、大岡忠相が築いた西大平藩の歴史を伝える貴重な史跡です。忠相の功績や江戸時代の藩政に興味がある方には、ぜひ訪れてほしい場所の一つです。

また、岡崎市内には徳川家康ゆかりの地も多くあり、歴史探訪の一環として訪れるのもおすすめです。西大平陣屋跡で、大岡忠相の遺した歴史に触れてみてはいかがでしょうか。

Information

名称
大岡越前守陣屋跡
( おおおか えちぜんのかみ じんやあと)

岡崎・豊田・奥三河

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