曹源寺は、愛知県豊明市にある曹洞宗の寺院で、知多四国霊場の第1番札所です。このお寺は長い歴史と文化財を持つ場所で、多くの参拝者や観光客が訪れる場所となっています。
曹源寺の歴史は鎌倉時代にまで遡り、天台宗の寺院として開闢されたと伝えられています。その後、1505年(永正2年)に実田以耘和尚によって現在の曹洞宗に改宗されました。1560年(永禄3年)には、二世快翁龍喜和尚の時代に桶狭間の戦いが発生し、戦死者約2,500人を葬ったとされています。
1654年(承応3年)には火災により諸堂が焼失しましたが、わずかに山門の扉2枚のみが残ったと伝えられています。その後、境川や正戸川の氾濫を避けるために現在の高台に伽藍が移転されました。江戸時代には地域の中本山としての地位を築き、多くの檀信徒との繋がりを持つ寺院となりました。
豊明市指定有形文化財である山門は、1717年(享保2年)に知多郡桶狭間村の梶野清右衛門の寄進によって建立されました。欅材と一部檜材を用いた楼門造りで、江戸時代の風格が漂う立派な山門です。扁額は雲臥元淳禅師の筆によるものです。
大庫裏は1805年(文化2年)に再建されたもので、大屋根に煙抜きの小屋根が特徴です。玄関と土間の天井には松材での小屋組みが施され、江戸期の庫裏の造りを現在も見ることができます。
1880年(明治13年)に再建された本堂は、ご本尊として釈迦牟尼仏が祀られています。また、左右には迦葉尊者と阿難尊者が脇仏として安置されています。扁額は大本山総持寺の貫主を務めた石川素堂禅師の筆によるものです。
平成8年に改築された開山堂には、曹源寺開山である実田以耘禅師の木像が安置されています。また、永平寺開山承陽大師や太祖常済大師の木像も祀られています。
昭和49年の火災で前弘法堂が焼失しましたが、昭和51年に鉄筋コンクリート造りで再建されました。この堂では弘法大師を祀り、多くの信者が訪れます。
昭和41年に坂野仙弌棟梁の手によって数奇屋造りで建てられた水屋は、桧皮葺きの屋根に苔が生し、雨の日には美しい景観を見せます。現在、修繕が計画されています。
1813年(文化10年)に建立された鐘楼は、鳴海の匠による建築です。戦時中には釣鐘を供出しましたが、戦後新たに鋳造されました。
曹源寺は知多四国霊場の一番札所として有名です。この霊場の歴史は、文化6年(1809年)に遡ります。当時、古見村(現在の知多市新地)の妙楽寺第十三世住職・亮山上人が弘法大師の夢告を受け、知多四国霊場を開創する決意をしました。その際、岡戸半蔵行者と武田安兵衛という同志と共にこの大業に取り掛かりました。
武田安兵衛行者が曹源寺に弘法大師の尊像を持参して安置を願いましたが、住職は他宗の宗祖である弘法大師を受け入れることに躊躇しました。結果的に、地元の檀徒総代である彦蔵の家に仮安置されました。その後、参拝者が増えたことで弘法堂が建立され、曹源寺が知多四国霊場の一番札所として定まったのです。
現在では、巡礼者を含めて年間約10万人が曹源寺を訪れています。この霊場巡りの札番が右回りであるため、知多半島の最北端に位置する曹源寺が一番札所となりました。
曹源寺では毎年11月29日に「豊明の大根炊き」が行われます。この行事の正式名称は「烏蒭沙摩明王尊大祭」で、大根を煮込んだ“ふろふき大根”と結び昆布を食べることで健康祈願を行います。参加者は毎年大勢で、6,500人分のふろふき大根が用意されます。混雑により食べられない参拝者や、当日参加できない人のために持ち帰り用の大根10,000本も準備されています。
曹源寺の飛び地境内(豊明市新栄町2丁目)には明道稲荷があります。この稲荷は、慶応元年(1865年)、北崎村(現在の大府市北崎町)の浜島卯八の三女「とう」が寂應和尚の感化を受け、東海道を行き来する旅人のために設立した寂應庵に由来します。明道稲荷は、旅人の休憩所として毎日お茶を提供し、多くの人々に癒しを与えました。
平成2年、明道尼の100回忌を記念して稲荷堂が建立されました。この堂は福徳を授ける稲荷として尊称され、今でも多くの参拝者が訪れます。
永禄3年(1560年)の桶狭間の戦いでは、駿河城主・今川義元が織田信長の奇襲により戦死しました。その際、曹源寺の二世快翁龍喜和尚は戦死者約2,500人を葬り、手厚く供養しました。戦人塚はこれらの塚の中でも代表的な存在として造られ、現在でも6月の第一土曜日に法要が営まれています。
曹源寺の位牌堂には、今川義元公や松井宗信の位牌が祀られており、桶狭間の戦いでの戦死者を手厚く供養しています。
所在地: 〒470-1165 愛知県豊明市栄町内山45
電車: 名鉄名古屋本線 前後駅から徒歩約15分。
車: 名古屋南インターから約1分、豊明インターから約5分。