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蓮華寺(あま市)

(れんげじ)

あま市の歴史ある古刹

蓮華寺は、愛知県あま市蜂須賀にある真言宗智山派の寺院で、池鈴山の山号を持ち、本尊として阿弥陀如来を祀っています。弘仁年間(810年 - 824年)に弘法大師空海によって創建されたと伝えられ、戦国時代の武将・蜂須賀小六正勝の菩提寺としても知られています。さらに、尾張徳川家からも寺領が安堵されるなど、歴史的に重要な寺院です。

蓮華寺の歴史と由緒

弘法大師による創建

蓮華寺の創建は弘仁年間(810年 - 824年)にさかのぼり、弘法大師(空海)による開山と伝えられています。その後、この地から出た蜂須賀氏が帰依し、阿波国(現在の徳島県)に移った蜂須賀家の支援を受けながら発展しました。

蜂須賀小六正勝ゆかりの寺

蓮華寺は、戦国時代の武将・蜂須賀小六正勝の菩提寺としても知られています。小六正勝とその子・家政の位牌が安置されており、寺の仁王門は家政によって寄進されたと伝わっています。寺の南西には、蜂須賀小六の旧宅や蜂須賀城址があり、かつての面影を今に伝えています。

蜂須賀城址と蜂須賀小六正勝公碑

蓮華寺の近くには、「蜂須賀小六正勝公碑」と「蜂須賀城址」の石碑が建てられており、小六正勝の功績を後世に伝えています。蜂須賀城は約1ヘクタールの広さがあったとされ、その跡地には今も往時を偲ばせる遺構が残っています。

蓮華寺の文化財

愛知県指定文化財

愛知県指定名勝

蓮華寺の庭園は愛知県の名勝に指定されており、四季折々の美しい景観を楽しむことができます。特に春の桜や秋の紅葉は見事で、多くの参拝者や観光客が訪れます。

蜂須賀正勝(はちすか まさかつ)- 戦国時代の名将

蜂須賀正勝(1526年 - 1586年)は、戦国時代から安土桃山時代にかけて活躍した武将で、豊臣秀吉の股肱(ここう)の臣として知られています。通称「蜂須賀小六」としても広く知られ、徳島藩主蜂須賀家の祖となりました。

蜂須賀正勝の生涯

出自と幼少期

蜂須賀正勝は、大永6年(1526年)、尾張国海東郡蜂須賀郷(現在の愛知県あま市蜂須賀)で生まれました。蜂須賀氏は、木曽川の水運業を行っていたとされる川並衆の一派であったともいわれています。

織田信長への仕官

正勝は当初、美濃の斎藤道三に仕えていましたが、道三の死後、織田信長に仕えました。永禄7年(1564年)には、織田信長の家臣となり、蜂須賀郷に戻りました。この頃、後の豊臣秀吉と出会い、深い関係を築いたといわれています。

秀吉との関係と活躍

蜂須賀正勝は、秀吉の与力として「墨俣一夜城」の築城に協力し、その後の美濃攻略や近江攻めにも活躍しました。正勝の功績により、信長から5,000石の所領を与えられ、桐紋の使用も許されました。

蜂須賀小六と矢矧川の伝説

浮世絵に描かれた「矢矧川の出会い」

講談や『太閤記』などでは、蜂須賀小六は矢矧川(現在の愛知県岡崎市付近)の橋で少年時代の秀吉と出会ったとされ、これが二人の主従関係の始まりとされています。しかし、江戸時代中期に矢矧川に橋が架けられたことが確認されており、この逸話は創作とされています。

実際の関係

秀吉は、織田氏に仕える以前に正勝のもとに身を寄せていたともいわれ、秀吉の父・弥右衛門が蜂須賀家に仕えていたことが縁で、正勝が秀吉を信長に推薦した可能性も指摘されています。

蜂須賀正勝の晩年とその後

晩年の功績

天正10年(1582年)、本能寺の変後の混乱の中で秀吉を支え、山崎の戦いで活躍しました。さらに、四国攻めにも参加し、その後は徳島藩の基礎を築くことに尽力しました。

正勝の死と蜂須賀家の繁栄

天正14年(1586年)、蜂須賀正勝は波乱に満ちた生涯を終えました。彼の遺志を継いだ子・蜂須賀家政は徳島藩初代藩主となり、蜂須賀家は江戸時代を通じて繁栄を続けました。

まとめ

蓮華寺は、愛知県あま市にある歴史ある寺院であり、蜂須賀小六正勝の菩提寺としても知られています。美しい庭園や貴重な文化財を有し、歴史好きな方にとっては特に訪れる価値のある場所です。また、蜂須賀正勝の生涯は、戦国時代の武将としての活躍だけでなく、豊臣秀吉との関係においても非常に興味深いものです。蓮華寺を訪れる際には、その歴史的背景にもぜひ思いを馳せてみてください。

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名称
蓮華寺(あま市)
(れんげじ)

尾張西部・一宮

愛知県