龍照院は、愛知県海部郡蟹江町に位置する真言宗智山派の寺院で、本尊として十一面観音菩薩を祀っています。隣接する冨吉建速神社・八剱社で行われる「須成祭」とも関わりが深く、地域の文化や信仰の中心として親しまれています。JR関西本線の蟹江駅から徒歩約15分とアクセスも良好で、観光にも適した歴史あるお寺です。
龍照院の創建については諸説ありますが、『尾張誌』(1846年完成)によると、天平5年(733年)に高僧・行基によって創建されたとされています。その後、鎌倉時代の寿永元年(1182年)には、木曽義仲が七堂伽藍と十八坊を建立し、中心に「蟹江山常楽寺」を設けたと伝えられています。この常楽寺には本尊の十一面観音菩薩が安置され、中興開山は栂尾(とがのお)の明恵上人とされます。
当時の境内は広大で、24町歩(約7万2000坪)、寺領は76町歩(約30万坪)にも及びました。しかし、天正12年(1583年)、羽柴軍と織田・徳川軍が戦った「蟹江城合戦」により、龍照院と鎮守(冨吉建速神社・八剱社)を残し、他の伽藍は兵火によって焼失してしまいました。
江戸時代には、龍照院は名古屋の大須観音(宝生院)に属し、地域の学問の場としても機能しました。天明3年(1783年)には、寺子屋が開設され、多くの子どもたちが学びました。
しかし、明治時代初期の神仏分離令や廃仏毀釈運動によって境内や寺領は縮小され、一時は常燈を備えるのみとなりました。さらに、1891年(明治24年)の濃尾地震で本堂・客殿・庫裡などが倒壊するなど、厳しい時期を迎えました。しかし、第68世の政覚和尚、第69世の政隆和尚の努力により、本堂・客殿・庫裡・経堂・鐘楼・大日堂・地蔵堂などが再建され、寺の復興が果たされました。
1931年(昭和6年)12月には、本尊の十一面観音菩薩が旧国宝(現在の重要文化財)に指定されました。その後、1972年(昭和47年)には文化庁の要請を受け、本尊を保護するための収蔵庫が完成しました。
また、1993年(平成5年)には、名古屋市博物館で開催された「東海百観音名宝展」のポスターや記念誌の表紙に龍照院の十一面観音菩薩が採用されるなど、文化財としての価値が広く認知されました。同年、客殿・集会室・庫裡も新築され、現代に至るまで多くの参拝者を迎えています。
平安時代末期の寿永元年(1182年)に仏師・僧教円によって造られたとされる貴重な仏像です。1931年(昭和6年)に旧国宝に指定され、1950年(昭和25年)の文化財保護法施行により、重要文化財に移行しました。
この観音像は「須成の観音様」として地域の人々に親しまれており、毎月第3日曜日に開帳されます。1891年(明治24年)の濃尾地震の際には、本堂が倒壊したにもかかわらず、この観音像は無傷のまま残ったという伝承もあります。
平安時代末期に作られたとされる仏像で、高さ105センチ、台座82センチの大きさを誇ります。しかし、1891年(明治24年)の濃尾地震の際に顔面が破損し、素人の手で修復されたため、国や県の文化財指定には至っていません。1985年(昭和60年)11月28日に蟹江町指定有形文化財(彫刻)に指定され、大日堂に安置されています。
室町時代の明応9年(1500年)の銘が刻まれた貴重な工芸品で、1985年(昭和60年)に蟹江町指定有形文化財(工芸品)に指定されました。現在、龍照院の本堂に掛けられている鰐口は、後世に新しく造られたものです。
龍照院の北西にそびえる巨大なイチョウの木は、樹齢400年以上と推定され、1994年(平成6年)の時点で樹高23メートル、幹回り3.5メートルを誇ります。この木は、豊臣秀吉が手植えしたと伝えられており、江戸時代の文献にもその存在が記録されています。
1983年(昭和58年)3月に蟹江町指定天然記念物に指定され、現在もその壮大な姿を参拝者に見せています。
龍照院は、鎌倉時代から現代に至るまで、多くの歴史的出来事を乗り越えながら存続してきました。重要文化財の十一面観音立像をはじめとする貴重な文化財、豊臣秀吉ゆかりのイチョウの木など、多くの見どころがあります。
JR関西本線蟹江駅から徒歩15分という立地の良さもあり、観光客や歴史愛好家にとっても訪れる価値のある場所です。特に、須成祭の時期には多くの人々が訪れ、地域の伝統と文化を体感することができます。
龍照院は、愛知県蟹江町にある歴史ある寺院で、多くの文化財を有し、地域の信仰の中心として親しまれています。観光や歴史探訪の際には、ぜひ訪れてみてはいかがでしょうか。