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須成祭

(すなり まつり)

蟹江町が誇る日本有数の川祭り

須成祭は、愛知県海部郡蟹江町に鎮座する冨吉建速神社と八剱社の祭礼として行われる、歴史と伝統を誇る川祭りです。疫病退散を祈願する天王信仰に基づく祭礼であり、「須成天王祭(すなりてんのうまつり)」とも呼ばれています。約100日間にわたって多彩な神事が続くことから、「百日祭り」という別名でも知られ、地域の人々の暮らしと深く結びついてきました。

須成祭の起源と長い歴史

須成祭の中心となる冨吉建速神社は、かつて牛頭天王社(ごずてんのうしゃ)と呼ばれていました。祭りの正確な起源は明らかではありませんが、戦国時代の天文17年(1548年)には、織田信長が社殿を修復した際、祭礼を今後も続けるよう命じたという記録が残されています。このことから、須成祭は少なくとも16世紀以前にはすでに行われていた、非常に由緒ある祭りであることがわかります。

その後、天正12年(1584年)の蟹江城合戦により社殿は焼失しましたが、須成祭は形を変えながらも途絶えることなく受け継がれてきました。文禄年間には疫病が流行しましたが、豊臣秀吉が祭礼の継続を重視したと伝えられており、須成祭が疫病退散の祈りとしていかに重要視されていたかがうかがえます。

江戸時代には尾張徳川家から50石が与えられ、藩によって保護されていました。江戸期の文献『寛文村々覚書』や『尾張志』にも記録が残されており、須成祭が地域のみならず、尾張全体において重要な祭礼であったことを物語っています。

須成祭の特徴 ― 百日間にわたる祈りの行事

須成祭の最大の特徴は、疫病退散を願う天王信仰に基づき、7月初旬から10月下旬まで、約100日間にわたって神事が続く点です。この長期間にわたる祭礼は全国的にも珍しく、須成祭が「百日祭り」と呼ばれる所以となっています。

祭りは大きく分けて、「神葭(みよし)の神事」と「車楽船(だんじりぶね)の川祭」の二つで構成されています。これらの神事は、自然と人、人と神とのつながりを象徴する重要な儀式です。

神葭の神事 ― 災厄を託す神聖な儀礼

神葭の神事では、蟹江川の河岸に自生するヨシを刈り取り、神体として冨吉建速神社に祀ります。人々は疫病や災厄をこのヨシに託し、やがて蟹江川へと流します。ヨシは7日間川に浮かべられた後、70日間にわたって神社の神棚に祀られ、最後は焼き納められます。

この一連の流れが約100日間続くことで、地域の人々は心身の清めと疫病退散を祈願します。自然の恵みを神の依代とするこの神事は、須成祭の精神性を象徴する重要な行事です。

車楽船の川祭 ― 幻想的な夏の夜

須成祭でもう一つの見どころが、車楽船の川祭です。宵祭と朝祭には、提灯で美しく飾られた祭船が蟹江川を進み、天王囃子の音色が水面に響き渡ります。夜の川に浮かぶ祭船の光景は幻想的で、多くの見物客を魅了します。

須成祭の日程と見どころ

須成祭は8月第1土曜日の宵祭と、その翌日の朝祭を中心に、前後約100日間にわたる行事が続きます。稚児定めや稽古始め、葭刈りなど、準備段階から神事が丁寧に行われ、地域全体が祭り一色に染まります。

特に宵祭と朝祭は観光客にも人気が高く、祭船の運航や山起し、天王囃子など、須成祭ならではの勇壮かつ優雅な光景を楽しむことができます。

文化財としての須成祭

須成祭はその歴史的・文化的価値が高く評価され、1980年に愛知県指定無形民俗文化財となりました。さらに2012年には「須成祭の車楽船行事と神葭流し」として国の重要無形民俗文化財に指定されています。

2016年には「山・鉾・屋台行事」の一つとしてユネスコ無形文化遺産にも登録され、世界に誇る日本の祭りとして注目を集めています。2018年には、須成祭をテーマとした蟹江町観光交流センター「祭人(さいと)」も開館し、祭りの魅力や歴史を学ぶ拠点として親しまれています。

須成祭を訪ねて

須成祭は、単なる夏祭りではなく、疫病退散を願う人々の祈りと、自然への感謝が込められた神聖な行事です。長い歴史の中で守り継がれてきた伝統と、川面を彩る祭船の美しさは、訪れる人の心に深い感動を与えてくれます。蟹江町を訪れる際には、ぜひ須成祭に触れ、その奥深い魅力を体感してみてください。

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名称
須成祭
(すなり まつり)

尾張西部・一宮

愛知県