内海は、愛知県知多郡南知多町の西部、伊勢湾に面した風光明媚な地域です。古くから海とともに発展してきた土地であり、江戸時代には「内海船」と呼ばれる尾州廻船の拠点として栄え、明治時代以降は千鳥ヶ浜を中心とした海水浴観光地として全国に名を知られるようになりました。現在でも、美しい海岸景観、豊かな歴史文化、温泉や農業体験など、多彩な観光資源を有する南知多町を代表するエリアです。
内海は知多半島南部、西側に位置し、南は伊勢湾に面しています。三方を緩やかな山々に囲まれた地形で、海と里山が近接する自然豊かな環境が特徴です。東は山海、西および北は美浜町に接しており、知多半島西岸の要所として発展してきました。
内海川が地域を南北に貫き、伊勢湾へと注いでいます。伊勢湾沿いには全長約3kmにおよぶ内海海岸が広がり、北からお吉ヶ浜、千鳥ヶ浜、東浜の三つに分けられています。海岸沿いには旅館やホテルが立ち並び、最盛期の夏には15万人から20万人もの海水浴客が訪れました。
交通面では、伊勢湾沿いを国道247号が走り、内陸部には愛知県道52号半田南知多線が南北に延びています。こうした道路網により、内海は古くから海上交通と陸上交通の結節点として重要な役割を担ってきました。
「内海」という地名は、かつて伊勢湾が現在よりも深く内陸に入り込んでいた地形に由来するとされています。この地には縄文時代早期の先苅貝塚(先苅遺跡)が存在し、縄文海進によって水没した海底埋没貝塚としては、日本で初めて本格的に発見された貴重な遺跡です。
1987年、名鉄知多新線・内海駅の建設工事中に発見され、土器や石器、魚骨、人骨などが出土しました。内海が太古から海と密接に関わってきた土地であることを物語る重要な史跡です。
平安時代末期から室町時代にかけて、内海には尾張国知多郡の荘園である内海荘(野間内海荘)が置かれました。12世紀半ばには成立していたとされ、室町時代には公家や寺院の領地として管理されていました。
戦国時代には一色氏の支配下に入り、その後、佐治宗貞が実権を掌握します。宗貞の弟・佐治為縄は内海に岡部城を築き、この地を拠点としました。現在も城跡が残り、往時の緊張感を今に伝えています。
江戸時代、伊勢湾には尾州廻船と呼ばれる廻船集団が登場しました。その中でも内海を拠点とする船は内海船と呼ばれ、大坂や瀬戸内の廻船と肩を並べる存在でした。
元禄4年(1691年)には、内海に112隻もの廻船があり、主に尾張国や伊勢国の米を江戸や大坂へと運びました。天保期には200隻近くに増え、西日本各地で内海船が活躍しました。船頭自らが商人を兼ねる「買積船」が多かったことも内海の特徴で、一介の船頭が船主へと成り上がる例も珍しくありませんでした。
この時代、内海は米の産地としても知られ、漁業ではイワシ漁が盛んに行われるなど、海と農業の両面で繁栄を遂げました。
明治時代になると、汽船の発達により伝統的な廻船業は次第に衰退しますが、内海は新たな道として観光に活路を見出します。明治中期には海水浴の医療効果が注目され、内海でも千鳥ヶ浜を中心に海水浴場や旅館が整備されました。
1898年には観光旅館「内海館」が建てられ、別荘地や保養地としても人気を集めるようになります。大正時代には知多半島初の乗合自動車が開通し、内海と内陸部が結ばれ、観光地としての利便性が飛躍的に向上しました。
昭和初期には冬季観光の目玉として内海温泉が開発され、通年型観光地としての基盤が整えられました。1980年には名鉄知多新線が開業し、終着駅である内海駅が設置されたことで、名古屋方面からのアクセスが格段に向上しました。
1961年には周辺町村と合併して南知多町が誕生し、内海はその中心的観光地として現在に至っています。
内海は農業も盛んな地域で、特に内海みかんは全国的に知られています。1844年に栽培が始まり、明治期には地域全体に広がって基幹産業となりました。戦後の愛知用水通水により生産量はさらに増加し、蒲郡みかんと並ぶ一大産地として発展しました。
現在でも観光農園でのみかん狩りが行われ、地元産みかんを使った加工品や地酒とともにブランド化が進められています。
内海観光の象徴ともいえるのが内海海水浴場です。世界でも屈指の細かさを誇る白砂の浜が約2kmにわたって続き、「日本の渚百選」にも選ばれています。遠浅で穏やかな海は家族連れにも人気が高く、東海地区最大級の規模を誇ります。
1994年に日本初のバンジージャンプ場として注目を集めたアウトドア施設です。アスレチックやキャンプ、季節の果物狩りなど、多彩な体験が楽しめます。
内海には如意輪寺、大宝寺、泉蔵院、宝積院、西岸寺など、知多四国霊場や南知多三十三観音霊場の札所が点在し、信仰の地としても知られています。
また、尾州廻船内海船船主 内田家住宅は重要文化財に指定され、廻船業で栄えた内海の歴史を今に伝える貴重な建築です。
先苅貝塚は、縄文時代早期の縄文海進により水没した海底埋没貝塚として、日本で初めて本格的に発見された貝塚です。1987年(昭和52年)に名鉄知多新線内海駅の工事中に発見され、土器の破片、石器、魚の骨、人骨などが出土しています。
内海には、歴史ある神社や寺院が点在しています。
内海には一色城跡や岡部城跡などの歴史的城跡が残っています。また、尾州廻船内海船の船主であった内田家の邸宅は、明治2年(1869年)に建てられ、太平洋側に現存する廻船主邸宅として大規模で、重要文化財に指定されています。旧内田佐平二家住宅も登録有形文化財として保存されています。
毎年4月第1日曜に開催される山車祭りで、高宮神社の神が神輿で熊野社に渡御する際、山車が警護する形で進行します。からくり人形による湯取神事が演じられ、東端区のからくり人形は南知多町指定文化財です。
旧暦8月17日頃に行われる祭礼で、山神社の神事に合わせて、2艘の和船を横に並べた双胴船が108個の提灯をつけて内海川を往復します。「神楽船」は南知多町指定文化財(有形民俗)です。
内海海水浴場は、知多半島の伊勢湾に面した東海地区最大級の海水浴場です。約2kmにわたる弓状の遠浅の白砂が特徴で、砂粒の細かさは世界でも有数とされ、「日本の渚100選」にも選定されています。シャワーやトイレ、監視・救護施設も整い、家族連れでも安心して楽しめます。夕日の美しい景観も魅力です。
内海海水浴場の中心となる砂浜で、夏季には多くの観光客が訪れます。海岸線は約2kmで、砂の粒の細かさと美しさから「東海随一」と評されています。海水浴以外でも浜辺の散策や、冬季には自然が作る砂模様や海鳥の観察が楽しめます。
南知多グリーンバレイは、1994年に日本初のバンジージャンプ場を開設したアウトドアレジャー施設です。園内にはフィールドアスレチック、ボールプール、バンジージャンプ、スカイコースター、パターゴルフなどの有料施設があり、バーベキューやデイキャンプも可能です。また、ブルーベリー狩りやみかん狩りなど観光農園体験も楽しめます。
南知多町では、三河湾・伊勢湾の豊富な海の幸が毎日水揚げされます。旬の魚介類を使用した料理が豊富で、特に冬のトラフグは10月から3月まで楽しめます。「てっさ」「てっちり」「唐揚げ」「焼きふぐ」など、多彩な料理が味わえます。漁法は一匹一匹釣り上げる「延縄漁」が行われ、国内有数の漁獲量を誇ります。
内海、山海、豊浜の3つの温泉を「南知多温泉郷」と呼びます。海岸沿いに点在する温泉宿からは絶景の海が望め、夕日を楽しむこともできます。泉質はナトリウム・カルシウム塩化物強塩泉で、慢性皮膚炎、切り傷、疲労回復、やけど、冷え性、婦人病などに効能があります。
秋にはみかん狩りが楽しめ、鈴ヶ谷センターや田中農園、内海フルーツ村、南知多いちごの里、南知多グリーンバレイいちご狩りなどで、家族そろって秋の味覚を満喫できます。
内海は、太古の遺跡から廻船業の繁栄、海水浴観光、温泉、農業、そして現代のレジャー施設まで、時代ごとに異なる魅力を育んできました。美しい海岸線と深い歴史、そして人々の営みが織りなす内海は、訪れる人に多面的な感動を与えてくれる知多半島屈指の観光地です。