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足助八幡宮

(あすけ はちまんぐう)

愛知県豊田市にある「足助八幡宮」は、長い歴史と伝統を誇る神社です。古くから地域の人々に親しまれ、旅行や交通安全、さらには足に関する願い事にご利益があるとされています。

足助八幡宮の歴史と由緒

創建と由来

足助八幡宮の創建は、伝承によれば天武天皇の御代である白鳳3年(673年)2月21日とされています。一般的には西暦663年とされることもありますが、神社では673年を正式な創建年としています。

かつて、境内には神宮寺が存在していましたが、明治元年(1868年)の神仏分離によって廃されました。現在もその名残として鐘楼が残されており、歴史の面影を感じることができます。

大鳥居の移設

足助八幡宮の大鳥居は、寛政12年(1800年)に改築されたものです。しかし、平成14年(2002年)に宮町交差点の拡張工事が行われた際、正面から現在の位置へと移設されました。

ご祭神

足助八幡宮では、主に以下の三柱の神々を祀っています。

さらに、現在では他に5柱の神々も合祀されています。

足助八幡宮の例大祭

足助まつり

足助八幡宮の例大祭として、毎年10月の第2日曜日に「足助まつり」が開催されます。この祭りでは、町方から4台の山車が引き出されるほか、火縄銃を用いた鉄砲隊や伝統芸能である「棒の手」が披露され、華やかな雰囲気に包まれます。

文化財

国指定重要文化財

愛知県指定文化財

豊田市指定文化財

有形文化財
有形民俗文化財
天然記念物

足助八幡宮の伝説 – 自足域姫の物語

旅の娘と村の人々

今から1300年ほど前、天武天皇の時代、都から流れ流れてきた「自足域姫(みたりきひめ)」という娘が、現在の豊田市野口にたどり着きました。しかし、身分を隠すため粗末な服を着ていた彼女は、村の家々から宿泊を拒まれました。

困った姫は泉で身を清め、衣服を整え、再び宿を求めました。すると、彼女の品格に気づいた村の大地主が快く宿を提供し、彼女はその家に住むこととなりました。

八幡大明神への信仰

自足域姫は、常に八幡大明神を信仰し、持ち歩いていたご神体を地主の家の近くの丘に祀りました。彼女の篤い信仰は周囲の人々に伝わり、やがて村人たちも八幡大明神を崇敬するようになりました。そして、力を合わせて社殿を建立し、信仰が広がっていきました。

山伏との出会いと結婚

一方で、足助の里には熊野から来た山伏が住んでおり、八幡信仰を広めていました。ある日、自足域姫の存在を聞きつけた山伏は、野口村を訪れ、彼女と対面しました。二人は信仰を通じて心を通わせ、やがて結婚。共に八幡大明神の教えを広めていきました。

足助八幡宮の誕生

時が経ち、二人の間に子どもが生まれ、家庭を築いていきました。しかし、7年後の白鳳2年(673年)2月11日、山伏は重い病に倒れ、妻子に見守られながらこの世を去りました。彼の遺志を継ぎ、自足域姫はさらに信仰を広め、足助の地に八幡宮を築くこととなったのです。

足助八幡宮の魅力を感じて

足助八幡宮は、長い歴史を持つだけでなく、美しい自然に囲まれた神聖な場所です。伝統ある祭りや文化財、伝説を通じて、訪れる人々に深い感動を与えます。旅行や交通安全の祈願のほか、歴史に触れる旅としてもおすすめのスポットです。

Information

名称
足助八幡宮
(あすけ はちまんぐう)

岡崎・豊田・奥三河

愛知県