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岩津天神(岩津天満宮)

(いわづ てんじん てんまんぐう)

岩津天満宮は、愛知県岡崎市岩津町東山に鎮座する天満宮で、通称「岩津天神」として親しまれています。御祭神は学問の神様・菅原道真公であり、受験生や学問成就を願う人々が年間を通じて多く訪れます。

岩津天満宮の見どころ

学問の神様としての信仰

岩津天満宮は、特に受験シーズンになると合格祈願に訪れる参拝者で賑わいます。1月の「初天神」には、多くの受験生やその家族が参拝し、境内は活気に満ち溢れます。

梅の名所

岩津天満宮は梅の名所としても有名です。2月から3月下旬にかけて、紅梅・白梅・枝垂れ梅など約400本の梅が美しく咲き誇り、訪れる人々の目を楽しませます。梅の開花時期には特別に梅園が解放され、散策を楽しむことができます。

節分祭と豆まき神事

節分の時期には、鬼が登場し、拝殿前から境内に向けて豆まきが行われます。多くの参拝者が集まり、厄払いを願う伝統的な神事です。

撫で牛

境内には「願掛け撫で牛」が鎮座しています。この牛の頭を撫で、その後自分の頭を撫でると、知恵がつくと言われています。また、体の悪い部分を撫でると病気平癒のご利益があるとされています。

いぼ取り石

「いぼ取り石」は、いぼを取り除くとされる霊石です。この石を持ち帰り、「いぼいぼ消えろ、いぼいぼ無くなれ」と唱えるといぼが消えると伝えられています。いぼが治った際には、お礼参りとして別の小石を奉納する習わしがあります。

厠神社(かわやじんじゃ)

境内には、トイレの神様を祀る「厠神社」があります。トイレを清潔に保つことで安産のご利益があるとされており、安産祈願の神社としても信仰を集めています。

岩津天満宮の歴史

創建の由来

岩津天満宮の起源は、江戸時代中期の宝暦9年(1759年)に遡ります。信光明寺の22世・一誉上人が、鎌倉の荏柄山天満宮(芭蕉天神)から分霊を勧請し、当初は境内の観音堂に祀りました。しかし、霊夢のお告げを受け、現在の東山の地に社殿を建立しました。

近代の発展

明治維新後の神仏分離令により、信光明寺の管理から離れ、岩津村が管理する崇敬神社となりました。しかし、1879年(明治12年)に火災により社殿が焼失。この復興を支えたのが、富山県立山の修験僧・鑁禪(佐伯鑁禪)と、碧南の実業家で「長七たたき(人造石)」の発明者・服部長七でした。

服部長七は、1900年(明治33年)に岩津天満宮の崇敬者総代に就任し、本殿の再建に尽力しました。その後、1911年(明治44年)には本殿の再興、1919年(大正8年)には現在の拝殿の造営が行われました。

さらに、1929年(昭和4年)には神楽殿が建設され、1971年(昭和46年)には熱田神宮の宮庁舎が移築されて社務所が改築されました。そして1980年(昭和55年)には本殿の改築が完了し、2011年(平成23年)には本殿・幣殿・拝殿が改修され、現在の姿となりました。

境内の見どころ

本殿・拝殿

岩津天満宮の社殿は、明治12年の火災によって消失しました。その後、服部長七によって再興が進められ、明治44年に本殿が再建されました。さらに、大正8年には現在の拝殿が完成しました。平成23年には本殿・拝殿の改修が行われ、現在も岩津天神信仰の中心として多くの参拝者に親しまれています。

神楽殿

神楽殿は、天神様に神楽や舞を奉納するための建物です。昭和4年に竣工し、昭和49年には東名高速道路からの火災が境内西側の山林に及びましたが、神楽殿は御神徳により類焼を免れました。

神橋(太鼓橋)

岩津天満宮へ参拝する際は、鳥居をくぐり「神橋(太鼓橋)」を渡ると良いとされています。欄干には「願掛け撫で牛」が鎮座しており、願い事を唱えながら橋を渡るとご利益があるとされています。

岩津天満宮へのアクセス

公共交通機関

岩津天満宮へは以下の方法でアクセスできます。

学問の神様として信仰を集める岩津天満宮は、学業成就の祈願だけでなく、梅の名所としても楽しめる魅力的なスポットです。ぜひ訪れてみてはいかがでしょうか。

Information

名称
岩津天神(岩津天満宮)
(いわづ てんじん てんまんぐう)

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