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松平郷

(まつだいらごう)

松平郷は、三河国の戦国大名である松平氏が発祥し、後に徳川氏として発展した歴史的な地域です。
現在の愛知県豊田市松平町に位置し、巴川(足助川)東岸の山地にある静かな小集落です。
この地域には松平氏の館跡や城跡が残されており、「松平氏遺跡」として国の史跡に指定されています。

松平親氏銅像と史料考察

松平親氏と松平郷の関係

徳川家の系譜によれば、松平親氏が松平郷に定住し、松平氏の祖となったとされています。
しかし、史料上で松平という村名が初めて登場するのは、天文元年(1532年)の足助町四ツ松の十明神社の唐櫃銘であり、これは松平長親(前出雲守沙弥道悦)が奉納したものとされています。

松平氏の初見

一方、松平氏の姓名の初見は、寛正6年(1465年)の「親元日記」に登場する「松平和泉入道(信光)」です。
また、寛正年間の菅浦文書には、松平益親という人物が記録されており、松平氏の姓のほうが村落名よりも先に登場していることが分かります。

松平郷の沿革

松平郷の開拓と初期の歴史

松平郷は山間部に広がる谷戸田(やとだ)が点在する地域であり、農業を主体とした集落が形成されていました。
賀茂神社系の賀茂氏の末裔である松平信盛がこの地を開拓し、領主となったとされています。

徳阿弥の来訪と松平氏の成立

14世紀末、南北朝時代の争乱で没落した世良田氏(得川氏)の出身とされる徳阿弥が、父の長阿弥(世良田有親)とともに松平郷に流れ着きました。
当時の領主・松平信重は、徳阿弥の教養と武勇を評価し、彼を娘婿として迎え入れました。
徳阿弥は還俗し、「松平太郎左衛門親氏」と名乗り、松平郷領主となったと伝えられています。

松平氏の発展

親氏は松平郷に松平城(郷敷城)を築き、嫡子とされる泰親とともに近隣の村々を支配しました。
その後、泰親を継いだ信光は額田郡に進出し、岩津城(現在の岡崎市岩津町)に拠点を移しました。
これにより、松平郷は信光の叔父である松平信広の支配下に置かれ、信広の子孫が松平郷を代々継承しました。

江戸時代以降の松平郷

江戸幕府の成立後、松平郷は交代寄合の松平郷松平氏に授けられ、その所領として維持されました。
明治維新後、西加茂郡松平村となり、1970年(昭和45年)には豊田市に編入されました。

松平氏遺跡と歴史的名所

松平東照宮

松平東照宮は、松平親氏を祀る神社であり、松平郷松平家が大正時代まで居住していました。
境内には徳川家康の産湯の井戸跡や松平家の屋敷跡があり、松平氏館跡として国の史跡に指定されています。

高月院

高月院は、松平氏の菩提寺であり、松平親氏が堂塔を寄進したことで現在の名称となりました。
徳川家康によって100石の寺領が与えられ、江戸幕府の保護を受けました。
本堂や山門は徳川家光による改築とされており、境内には松平親氏や泰親の墓が残されています。

松平城跡

松平城(郷敷城)は、松平親氏によって築かれたとされる城跡で、現在は石垣や堀の一部が残るのみです。
周辺には松平郷館があり、松平氏に関する資料が展示されています。

その他の史跡

現代の松平郷

松平郷園地と観光施設

1993年(平成5年)、豊田市は松平親氏の没後600年を記念し、「親氏公600年祭」を開催しました。
これに伴い、松平館跡周辺が「松平郷園地」として整備され、松平東照宮や高月院、松平城址などが観光名所として再整備されました。

天下茶屋と文化施設

松平郷内には休憩所「天下茶屋」があり、観光客が一息つける場所となっています。
また、幻想画家・蛇雄のアトリエ兼ギャラリーもあり、文化的な魅力も感じられるスポットです。

まとめ

松平郷は、徳川家の祖先が興った歴史的な地であり、現在でもその面影を色濃く残しています。
江戸幕府の礎を築いた松平氏の歴史を学びながら、静かで風情あるこの地を訪れることは、歴史好きにとって非常に魅力的な体験となるでしょう。

Information

名称
松平郷
(まつだいらごう)

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