愛知県豊田市大内町に位置する大給城は、日本の戦国時代に築かれた山城です。かつて大給松平家の居城として機能し、現在は城跡として整備されています。2000年(平成12年)2月4日には「松平氏遺跡」の一部として国の史跡に指定され、歴史的価値の高い遺構として注目されています。
大給城の築城時期には諸説ありますが、元々は地元の豪族・長坂新左衛門が居館として築いたものとされています。その後、松平信光が攻め落とし、子である松平親忠に与えました。そして、松平乗元とその子・松平乗正が1507年から1510年(永正3年~7年)にかけて本格的な城郭へと整備し、大給城は山城としての機能を備えることになりました。
大給松平氏は、戦国時代において周囲の松平一族と頻繁に抗争を繰り広げていました。1575年(天正3年)、滝脇松平家の襲撃を受けた際に大給城は放棄され、以降、徳川家康が関東に移封されたこともあり、城としての役割を終えました。
現在、城跡の東端には初代城主松平乗元の墓があり、歴史を感じさせる場所となっています。
大給城は、東西220メートル、南北280メートルの規模を持つ山城です。城の中央に主郭(本丸)が配置され、その南側には居館を建てた曲輪が設けられています。
特に特徴的なのは、城の北側にある「水ノ手曲輪」と呼ばれる構造です。この曲輪は2つあり、谷筋を堤防で区切り、井戸水や雨水をためる水堀の役割を果たしていました。そのうちの1つの堤防は幅30メートル、高さ5メートルと大規模で、城の防御力を高める役割を担っていました。
城内には虎口(こぐち)と呼ばれる出入口があり、城の防御のための重要な構造の一つです。敵の侵入を防ぐために工夫された設計が見られます。
城の主郭からは遠くの景色を一望でき、かつての見張り台としての役割がよく分かります。現在も訪れる人々に美しい景観を提供しています。
現在の大給城跡は、公園として整備されており、見学しやすい環境が整っています。城郭の遺構がしっかりと保存されており、縄張図や遺構を示す看板も設置されています。散策路も整備されているため、城跡巡りがしやすく、戦国時代の山城の雰囲気を楽しむことができます。
城跡へ続く道の入口には駐車スペースも用意されているため、車で訪れることも可能です。
城の防御構造としての堀切が残っており、その横には国指定史跡の碑が立っています。
城跡から続く尾根の東端には、初代城主松平乗元の墓があり、歴史を感じることができます。
〒470-0431 愛知県豊田市大内町
最寄り駅はなく、車でのアクセスが便利です。
大給城は、戦国時代の松平氏の歴史を伝える貴重な史跡です。城郭の遺構が良好に保存されており、城跡公園として整備されているため、歴史好きの方やハイキングを楽しみたい方におすすめのスポットです。
特に「水ノ手曲輪」や虎口の遺構は、戦国時代の城の防御構造を学ぶ上で貴重な存在です。歴史を感じながら散策し、かつての戦国武将たちの息吹を感じてみてはいかがでしょうか?