滝山寺は、愛知県岡崎市滝町に位置する天台宗の寺院です。古くから信仰の対象となり、特に「滝山寺鬼まつり」で広く知られています。山号は吉祥陀羅尼山、院号は薬樹王院と称し、歴史ある寺院としての風格を今に伝えています。
本堂の北側には日吉山王社本殿が、東側には滝山東照宮が隣接し、歴史的にも文化的にも非常に価値の高い地域となっています。
『滝山寺縁起』(以下『縁起』)によると、滝山寺は奈良時代に創建されたとされています。天武天皇の命により、伝説的な修験道の開祖である役行者(役小角)が、青木川で拾った金色の薬師如来像を祀り、吉祥寺として建立したと伝えられています。
しかし、その後の歴史の中で寺は荒廃し、一時は放棄されてしまいました。役行者にまつわる寺院は全国に数多く存在し、滝山寺もまた山岳信仰や水源信仰に関連した霊場であったと考えられています。
12世紀初頭、天台宗の僧仏泉上人永救(えいぐ)が滝山寺を再興しました。彼は地元豪族である物部氏の庇護を受けて本堂を建立し、さらに熱田神宮の大宮司である藤原南家を支援者とすることで、滝山寺は隆盛を極めました。
鎌倉時代に入ると、住職であった寛伝(1142年 - 1205年)は源頼朝の従兄弟であり、足利氏の初代当主足利義康の義兄弟でもありました。この関係から、鎌倉幕府の庇護を受け、大伽藍が建立されるなど、寺の規模は一層拡大しました。
鎌倉時代以降、滝山寺は三河守護の足利氏の保護を受け、広大な寺領を持つようになりました。鎌倉時代には412石の収入を得ており、当時の三河国の中でも有力な寺院のひとつでした。
その後、足利尊氏の庇護のもとで本堂が建立されましたが、室町時代に入ると、幕府の政策が臨済宗を重視する方向へと転換したことにより、滝山寺の影響力は徐々に衰えていきました。
戦国時代には寺領が諸勢力によって侵される苦難の時代を迎えましたが、江戸時代初期になると、徳川家康の庇護を受けて412石の寄進を受け、再び隆盛を取り戻しました。
また、3代将軍徳川家光の時代には、寛永寺の子院である青龍院の住職亮盛が滝山寺の住職を兼務し、その影響力を強めました。1646年(正保3年)には、徳川家光の命により岡崎城の鬼門除けとして滝山東照宮が建立され、さらに200石の加増を受けました。
明治維新後には、幕府の庇護を失い、寺領の多くが失われ、滝山東照宮も独立するなど、規模が縮小しました。しかし、近代においても修復が進められ、1969年には本堂の屋根替えが行われました。
また、2009年には『芸術新潮』にて滝山寺所蔵の仏像が紹介され、その文化的価値が広く認識されるようになりました。2017年には東京国立博物館で開催された特別展「運慶」において、滝山寺の観音菩薩立像が展示され、多くの注目を集めました。
滝山寺鬼まつり(たきさんじ おにまつり)は、愛知県岡崎市滝町にある滝山寺で行われる、壮大な火祭りです。毎年、多くの観覧者が訪れるこの祭りは、重要文化財である滝山寺本堂に巨大な松明(たいまつ)を30本以上持ち込むことから、全国的にも珍しい「天下の奇祭」として知られています。
この祭りは、愛知県の無形民俗文化財に指定されており、歴史的にも貴重な行事の一つです。古くから続く伝統的な儀式と勇壮な火祭りが特徴で、毎年多くの観客がその迫力を目の当たりにしています。
滝山寺鬼まつりの起源は鎌倉時代にさかのぼります。伝承によると、源頼朝が戦勝祈願を行ったことが始まりとされています。その後、室町時代に一時廃絶しましたが、江戸時代に再興されました。
江戸時代に入ると、徳川家光がこの祭りを重視し、滝山寺に対して手厚い保護を与えました。寛永18年(1641年)には、朱印地412石を滝山寺に寄進し、さらに正保3年(1646年)には「滝山東照宮」を創建しました。その翌年には、学頭の青龍院亮盛に毎年「天下泰平の祈願」を行うよう命じました。これにより、滝山寺鬼まつりは徳川幕府の公式行事として盛大に執り行われるようになったのです。
明治維新後、徳川幕府の庇護を失ったことで、祭りは一時中止となりました。1873年(明治6年)には神仏分離の影響を受けて休止されましたが、地元住民の尽力により1888年(明治21年)に復活しました。
第二次世界大戦中の1944年(昭和19年)と1945年(昭和20年)には、灯火管制のために中止されましたが、その後再開され、現代まで受け継がれています。
近年では、2021年(令和3年)および2022年(令和4年)は、新型コロナウイルス感染対策として一般観覧を中止し、関係者のみで執り行われました。そして、2023年(令和5年)には3年ぶりに一般観覧が再開され、例年通りの賑わいを取り戻しました。
滝山寺鬼まつりは、以下の5つの行事で構成されています。
もともとは旧正月7日の晩に行われていましたが、現在では旧正月7日に近い土曜日に開催されるようになりました。
祭り当日は、15時に「大松明・十二人衆行列」が滝山寺三門を出発し、本堂へ向かいます。18時30分には「鬼塚供養」として住職による豆まきが行われ、19時からは「庭祭り」が始まります。そして、19時45分ごろに「火祭り」がスタートし、巨大な松明が燃え盛る中、鬼たちが堂内を駆け巡ります。熱気と興奮が最高潮に達し、祭りはクライマックスを迎えます。
鬼まつりの中心的な役割を担うのが「十二人衆」です。彼らは祭りのために大松明を作成します。松明の竹は丹坂町から調達され、滝山寺鬼まつり保存会の会員が中心となって作成します。
祭りの1週間から10日ほど前には、祭りの主役となる「冠面者(かんめんじゃ)」が発表されます。最近では、祖父面と祖母面は地元の成人男性、孫面は地元の小学生が務めることが一般的です。冠面者は祭りまでの7日間、斎戒沐浴を行い、四足動物の肉を口にしないなどの厳しい戒律を守ります。
祭りのクライマックスである「火祭り」では、燃え盛る松明を持った男たちと、祖父面・祖母面・孫面を被った3鬼が本堂内を駆け巡ります。鬼たちは農作業の所作を演じながら、豊作を願います。松明の炎が夜空を焦がし、太鼓やほら貝の音が響く中、祭りは最高潮を迎えます。
滝山寺は、奈良時代の創建以来、多くの歴史的転換点を乗り越えながら存続してきた名刹です。特に鎌倉時代から室町時代にかけての繁栄、徳川家康の庇護による復興など、時代ごとに重要な役割を果たしてきました。
現在では、貴重な文化財を多数所蔵する寺院として、また「滝山寺鬼まつり」などの伝統行事を通じて、地域の人々に親しまれています。歴史と文化が息づく滝山寺を訪れ、その壮大な歴史と美しい建築を堪能してみてはいかがでしょうか。