愛知県 > 岡崎・豊田・奥三河 > 徳王稲荷社 金刀比羅社

徳王稲荷社 金刀比羅社

(とくおう いなりしゃ ことひらしゃ)

徳王稲荷社金刀比羅社(通称:徳王神社)は、愛知県岡崎市の西中町に鎮座する神社です。徳王稲荷社と金刀比羅社の二つの神社を合祀しており、その歴史は古く、地域の人々に親しまれています。

かつて両社はそれぞれ別の場所にありましたが、1945年(昭和20年)の岡崎空襲により社殿が焼失。その後、1967年(昭和42年)に合祀され、新たに建立されました。

「東海道一の長藤」と称される美しい藤棚

境内には立派な藤棚があり、毎年4月下旬から5月下旬にかけて「藤まつり」が開催されます。この藤棚は、戦後に移植された3株の藤が育ったもので、長さ170cmを超える見事な花房を咲かせることから、「東海道一の長藤」と称されています。

特に4月下旬から5月上旬にかけては、夜間照明が施され、幻想的な光景が広がります。

御祭神

徳王稲荷社

金刀比羅社

境内摂社

境内には以下の摂社が祀られています。

歴史

徳王稲荷社の起源

1507年(永正3年)、今川氏親の発願により、稲熊の郷石山の地に稲荷大神が勧請されたことに始まります。その後、1893年(明治26年)1月3日に現在の地に移転し、同年1月26日に「徳王稲荷社」と改称されました。

1920年(大正9年)には村社に列し、神饌幣帛料供進神社にも指定されましたが、1945年(昭和20年)の岡崎空襲で社殿が焼失しました。

金刀比羅社の起源

1215年頃(建保年間)、本間三郎重光の臣である伴隼人が北野天神の祠官として奉仕したことが起源とされています。永禄年間(1560年頃)、徳川家康に弓弦を献じた伴孫太郎が「弦指屋敷」と称し、家康自身も射的のために訪れたと伝えられています。

1813年(文化9年)に伴氏屋敷内に事比羅大神を奉祀し、のちに中町へ移転しました。しかし、1945年の岡崎空襲で社殿や藤棚が焼失しました。

神社の再建と合祀

1967年(昭和42年)、徳王稲荷社と金刀比羅社の合祀が決定され、元金刀比羅社の境内に新社殿が造営されました。その際、戦火を免れた3株の藤が移植され、「東海道一の長藤」として見事に復活を遂げました。

主な祭事

年間の主な神事

「こんぴらさんの藤まつり」

藤まつりは、1945年の空襲で焼失した藤棚を復活させるために始まりました。藤の蔓が力強く成長し、往年の美しさを取り戻したことから、毎年4月下旬から5月上旬にかけて「こんぴらさんの藤まつり」が開催されています。

夜間にはライトアップされ、幻想的な雰囲気の中で美しい藤を鑑賞することができます。

交通アクセス

徳王稲荷社金刀比羅社へは、名鉄バスを利用すると便利です。

まとめ

徳王稲荷社金刀比羅社は、岡崎市に根付いた歴史と文化を今に伝える神社です。空襲による焼失から復興を遂げたその姿は、多くの人々の信仰を集め続けています。特に春の「藤まつり」は見どころの一つで、美しい長藤の花が訪れる人々を魅了します。

ぜひ、歴史と自然が調和するこの神社を訪れ、四季折々の美しさを堪能してみてはいかがでしょうか。

Information

名称
徳王稲荷社 金刀比羅社
(とくおう いなりしゃ ことひらしゃ)

岡崎・豊田・奥三河

愛知県