赤津焼は、瀬戸焼の一部として、愛知県瀬戸市街地の東方に位置する赤津地区で焼かれる伝統的な焼物です。その歴史は非常に古く、平安時代から続いています。ここでは、赤津焼の概要と現在の状況について詳しくご紹介します。
赤津焼は、瀬戸窯とともに発展を遂げた歴史ある窯です。平安時代に開窯されたとされ、室町時代の遺跡として「小長曽陶器窯跡」が当地に残されています。
戦国時代には、「瀬戸山離散」と呼ばれる現象が起こり、瀬戸地方の窯屋が急激に減少しました。この影響で、多くの窯屋が美濃地方へ移転しました。
慶長15年(1610年)には、尾張藩初代藩主・徳川義直が赤津村に陶工を集め、瀬戸窯の復興を図ったと伝えられていました。しかし、近年の研究によれば、これは徳川家康が名古屋開府に合わせて窯屋を呼び戻したことが明らかになっています。
元和2年(1616年)には、名古屋城の御深井丸に赤津から陶工が招かれ、窯が築かれました。この窯は明治4年(1871年)の廃藩置県により廃止されましたが、「尾州御庭焼」として名を残しました。この時期に、赤津焼にはそれまでになかった安南風の呉須絵の技術が伝わり、現在では「御深井釉」として知られています。
文化4年(1807年)、加藤民吉により瀬戸に磁器の製法が導入されました。しかし、赤津では磁器が定着せず、現在に至るまで陶器を主体としています。
赤津焼では、7種類の釉薬(灰釉・鉄釉・古瀬戸釉・黄瀬戸釉・志野釉・織部釉・御深井釉)と12種類の装飾技法が受け継がれています。この伝統は、1977年(昭和52年)に国の伝統的工芸品に指定されました。2010年(平成22年)2月時点で、赤津焼の伝統工芸士は14名に上ります。
1980年(昭和55年)、赤津焼の研究資料や民俗資料の保存を目的として「赤津焼会館」が建設されました。この会館は赤津町の高台に位置し、外壁は織部釉の陶板で覆われた独特な外観を持っています。
会館内には研修室が備えられており、会合や講習などが行われます。また、茶道具や花器などの伝統的な作品から、日常使いの焼物まで、赤津の窯元による多様な作品が展示・販売されています。
赤津焼は、長い歴史を誇る日本の伝統工芸品の一つです。その豊かな技術と美しい釉薬、そして赤津焼会館での展示や販売を通じ、多くの人々に親しまれています。愛知県瀬戸市を訪れた際には、ぜひ赤津地区を訪れ、その魅力を直接感じてみてはいかがでしょうか。