徳林寺は、愛知県丹羽郡大口町にある臨済宗妙心寺派の寺院です。山号は「大龍山」と称し、歴史的にも文化的にも貴重な遺産を多く有しています。また、地域に伝わる「山姥(やまんば)物語」と深い関わりを持ち、「山姥寺」とも呼ばれています。山門や中門は、室町時代や江戸時代の建築様式を今に伝える文化財として、大口町指定文化財に登録されています。
徳林寺の創建は、戦国時代に遡ります。この寺の起源は、武芸の達人であった福富新蔵が退治した山姥にまつわる伝説と密接に関係しています。山姥は、余野村(現在の大口町余野)に住む小池与八郎の妻だったとされ、彼女の死を悼んだ与八郎が供養のために寺を建立したのが始まりです。
文明元年(1469年)、織田広近によって徳林寺は再興されました。広近は、小口城の城主として知られた武将であり、この寺の発展にも大きく貢献しました。文明7年(1475年)には、広近によって中門が建立され、現在に至るまでその姿を残しています。
創建当初は「空母山徳蓮寺」と名付けられていましたが、その後、現在の「大龍山徳林寺」に改称されました。この寺号は、広近が再興した際に改められたものと考えられています。
現在の山門は、もともと犬山城の第一黒門でした。明治9年(1876年)に徳林寺へ移築され、今日までその姿をとどめています。犬山城の門としての歴史を持つこの山門は、当時の城郭建築を伝える貴重な遺構となっています。
中門は、1475年に織田広近によって建立されました。室町時代の様式を残すこの門は、戦国時代の武家文化を今に伝える貴重な建築物です。
地域に伝わる「山姥物語」は、徳林寺の歴史と深く結びついています。昔、本宮山頂で村人を恐れさせていた山姥がいました。武芸の達人・福富新蔵は、この山姥と対峙し、矢を放ちます。矢は確かに命中し、山姥は姿を消しました。しかし、血の跡をたどると、それは余野地区に住む小池与八郎の家の門前へと続いていました。
驚くことに、与八郎の妻こそが山姥の化身だったのです。彼女の死後、与八郎との間に生まれた子は、母の冥福を祈るために徳林寺を建立しました。この物語が徳林寺の成り立ちと結びつき、「山姥寺」という別名が生まれました。
伝説によれば、現在の山門の柱には、山姥の血の跡が残っているといわれています。これが本当かどうかは定かではありませんが、地域の人々の間では、今も語り継がれる神秘的な話として親しまれています。
徳林寺の本堂は、静かな佇まいの中に格式を感じさせる建築様式が特徴です。戦国時代から受け継がれたこの寺の精神を象徴する存在となっています。
創建当初からの姿を今に伝える中門は、徳林寺の歴史を語る重要な建造物です。織田広近によって建てられたこの門は、当時の武家文化や建築技術を伝える貴重な文化財とされています。
徳林寺は、愛知県丹羽郡大口町余野2丁目201に位置しています。静かな住宅街の中にあり、歴史を感じさせる落ち着いた環境の中で参拝することができます。
徳林寺は、歴史と伝説が交錯する興味深い寺院です。織田広近による再興や犬山城の門の移築、さらには「山姥物語」との関わりなど、多くの歴史的背景を持っています。大口町の歴史を深く知ることができるこの場所は、観光や歴史探訪に最適です。ぜひ訪れて、悠久の時を感じながら、徳林寺の魅力を堪能してください。