入鹿池は、愛知県犬山市の入鹿地区に位置し、飛騨木曽川国定公園内にある人工の農業用ため池です。その総貯水容量は1847万9000立方メートルにも達し、日本でも有数の規模を誇ります。2010年には農林水産省の「ため池百選」に選定され、2015年には国際かんがい排水委員会により「世界かんがい施設遺産」に登録されました。
入鹿池は、香川県の満濃池と並ぶ日本最大級の農業用人工ため池で、犬山市を中心に、愛知県小牧市や丹羽郡の灌漑用水を供給しています。池の周囲は、北側に今井山、南西側に本宮山、尾張富士、白山の尾張三山がそびえ、自然の豊かさが際立ちます。また、池畔には博物館明治村があり、観光地としても人気を集めています。
入鹿池の歴史は江戸時代初期にまで遡ります。尾張国と美濃国の境に位置する木曽川は、かつて複数の支流を持ち、たびたび氾濫を引き起こしていました。これを防ぐため、徳川家康の命を受けた伊奈忠次によって御囲堤(おかこいづつみ)が築かれました。しかし、この工事では完全な治水は達成できず、後の明治時代にオランダ人技師ヨハニス・デ・レーケを中心に行われた木曽三川分流工事へと引き継がれていきます。
1626年(寛永3年)の旱害をきっかけに、新田開発の一環として入鹿池の築造が始まりました。当時、高台に位置する楽田原や青山原、小牧台地は水源に乏しく、新田開発にはため池の建設が不可欠でした。
特に、江崎善左衛門をはじめとする「入鹿六人衆」が中心となり、丹羽郡入鹿村の「銚子の口」を堰き止める計画が立案されました。入鹿池の建設は、尾張藩の主導のもと、1632年(寛永9年)に本格的に着工されましたが、工事は難航し、多くの困難を伴いました。
1633年(寛永10年)、河内国から派遣された技師・甚九郎の指導のもと、96間(約175m)の「百間堤(ひゃっけんづつみ)」が完成しました。この堤防の完成により、入鹿池はついにその姿を現し、周辺地域の灌漑用水源として重要な役割を果たすようになりました。
入鹿池には大規模な杁(いり、閘門・樋門)が設置されました。この杁を調整することで池の水量を制御し、灌漑用水を供給しました。杁の管理は杁守役が担い、その配下には水練の者が配置されました。この職務は代々世襲制で引き継がれ、地域農業の基盤を支え続けました。
入鹿池は、農業用水源としての役割だけでなく、観光地としても注目されています。ボート遊びやワカサギ釣りが楽しめる他、周辺には尾張パークウェイや県道16号、県道49号が通り、アクセスも良好です。また、四季折々の自然景観を楽しむことができ、多くの観光客が訪れるスポットとなっています。
入鹿池は、その歴史的背景や規模の大きさから、日本の農業史においても重要な位置を占めています。さらに、世界的なかんがい施設遺産に登録されていることからも、地域だけでなく国際的な評価を得ている貴重な存在です。
入鹿池は、農業用ため池としての機能だけでなく、その歴史や文化的価値、さらには観光地としての魅力を併せ持つ特別な場所です。自然豊かな環境と歴史的な背景を体感するために、ぜひ訪れてみてはいかがでしょうか。