山那神社は、愛知県丹羽郡扶桑町南山名に鎮座する由緒ある神社です。創建時期は不明ですが、正暦年間(990年~995年)に社殿が修復されたことを示す棟札が存在しており、非常に古い歴史を持つことがわかります。かつては「天神社」と称され、江戸時代の文化年間(1804年~1818年)に尾張藩の裁定により、南山名の天神社が式内社山那神社であると認められました。
山那神社は、『式内社』において丹羽郡22座の一つとして記されており、『尾張志』には「南山名に鎮座し天神社と称す」との記述があります。また、『尾張地名考』には「山名村が南北に分かれた後、社は南山名に遷された」とされており、山那神社の由緒の一端を知ることができます。
江戸時代、扶桑町内には南山名と山那の2か所に同名の山那神社が存在し、どちらも式内社を称していました。しかし、木曽川の氾濫や戦乱による荒廃のため、正確な所在が不明となっていました。そのため、尾張藩の裁定により南山名の神社が式内社山那神社とされました。
1873年(明治6年)には近代社格制度において郷社に列せられ、1902年(明治35年)には正式に山那神社と改称されました。その後、1910年(明治43年)には高塚と本郷にあった八幡社を、1920年(大正9年)には大名神社を合祀し、現在の形となりました。
八野若比売命(やのわかひめのみこと)
八野若比売命は、『出雲国風土記』に登場する女神で、須佐之男命の娘であり、大穴持命の妃とされています。
日本武尊(やまとたけるのみこと)
日本武尊は、ヤマト朝廷の伝説的英雄であり、東国征伐の際にこの地にも関わりがあったと伝えられています。
山那神社の境内には、歴史を物語る巨木「ケヤキ」がそびえ立っています。このケヤキは扶桑町指定文化財に指定されており、樹高30m、根回り4.9m、幹周4mを誇ります。枝張りは東西8~9m、南北5~6mにも及び、地域のシンボルとして親しまれています。長い年月を経てもなお力強く生い茂る姿は、まさに神聖な雰囲気を醸し出しています。
江戸時代、尾張藩では神社の「籠堂(こもりどう)」を利用して芝居が上演されることが一般的でした。南山名村でも、廻り舞台や化粧室を備えた本格的な舞台が設けられ、地元の人々が熱狂しました。
この文化の中心となったのが、本郷出身の小室仲太郎(中村七賀十郎を名乗る)でした。彼は東海地方を巡業しながら、地域の若者たちに歌舞伎を指導する熱心な座長でした。しかし、彼の没後は次第に衰退し、舞台は青年団の武道訓練場へと姿を変えました。
1939年には陸軍の物資倉庫として徴用され、戦後は復員兵の歓迎演芸会や買い芝居の場となるものの、往年の活気は戻りませんでした。その後、地区の集会場や農産物集荷場として利用されましたが、老朽化が進み、2013年(平成25年)10月に記念碑を建立し、歴史の一部として残されることとなりました。
所在地
愛知県丹羽郡扶桑町大字南山名字森58
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