犬山焼とは、愛知県犬山市で生産される陶磁器の総称です。江戸時代から続く焼き物で、特に赤絵が施された作品が特徴的です。本格的な色絵陶磁器として、茶器、花器、酒器、額皿など多岐にわたる製品が作られました。
犬山焼の歴史は、尾張国犬山の今井窯に始まります。今井窯の創業時期には諸説ありますが、宝暦年間(1751年~1764年)に丹羽郡今井村の奥村傅三郎によって始められたと考えられています。
今井村は犬山城の東南約4kmの場所にあり、当時、美濃焼と同様の日用品を生産していました。犬山焼の製品には「犬山」の角印が押されていたことが分かっています。奥村傅三郎の死後、2代目の源助、3代目の太右衛門へと引き継がれましたが、安永10年(1781年)には今井窯が廃業しました。
文化7年(1810年)、犬山城主の成瀬正壽の支援を受け、犬山上本町の商人・島屋宗九郎が犬山城下に丸山窯を築きました。しかし経営が難しく、文化14年(1817年)には綿屋太兵衛(大島暉意)に経営が移ります。
その後、京焼の技術を取り入れた赤絵が生産され、赤絵の技術を磨いた松原惣兵衛(水野吉平)や画工の逸兵衛(道平)が名古屋から招かれ、雲錦手と呼ばれる桜と紅葉をあしらった意匠が誕生しました。
天保元年(1830年)、経営が困難になった丸山窯は一時中断しますが、成瀬正壽が保護し、加藤清蔵が窯主となって再興。しかし、原料の確保や生産の課題が多く、最終的には明治維新後に廃止されました。
明治16年(1883年)、尾関作十郎が犬山陶器会社を設立し、犬山焼の存続に努めました。しかし、明治24年(1891年)の濃尾地震で大きな被害を受け、会社は解散状態に。3代目の尾関作十郎信敬が跡を継ぎ、窯の復興を試みました。
犬山焼の窯元は明治初期には8軒あり、絵付け専門の店舗も2軒存在しました。2008年時点では4窯が操業していましたが、2020年代には尾関作十郎窯(尾関窯)、大澤久次郎陶苑(大沢窯)、後藤陶逸陶苑(後藤窯)の3窯が残っています。
犬山焼には、以下のような特徴的な意匠があります。
伝世している犬山焼のほとんどは皿類や鉢類ですが、酒器、茶器、煎茶具、文房具、神仏具もあります。発掘調査では碗類、擂鉢、壺など日用品も多く生産されていたことが判明しています。
犬山は尾張徳川家の付家老である成瀬家の所領であり、尾張藩内でも特殊な立ち位置にありました。瀬戸焼が尾張藩の管理下で発展する一方、犬山焼は独自に成長し、成瀬家の支援を受けながら発展してきました。
犬山焼は、江戸時代の京焼の影響を受けながらも、独自の赤絵や雲錦手の技法を確立しました。現在でも犬山市内の窯元でその伝統が受け継がれ、職人たちが一つひとつ丁寧に作り上げています。
観光の際には、犬山焼の工房や展示施設を訪れ、美しい意匠と歴史に触れてみるのもおすすめです。