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旅籠屋「清明屋」

(はたごや せいめいや)

東海道二川宿に残る貴重な旅の記憶

旅籠屋「清明屋」は、愛知県豊橋市二川町中町に位置する、江戸時代の宿場町の面影を今に伝える歴史的建造物です。東海道五十三次の一つである二川宿において、江戸時代後期から明治時代にかけて旅籠屋として営まれてきました。その歴史的・文化的価値の高さから、現在は豊橋市指定有形文化財(建造物)に指定されています。

二川宿と清明屋の位置づけ

二川宿は、東海道の中でも重要な宿場町の一つとして栄え、本陣・脇本陣・問屋場、そして数多くの旅籠屋が立ち並んでいました。特に宿場の中心である二川中町には旅籠屋が集中しており、最盛期には約30軒もの旅籠が存在していたと伝えられています。清明屋は、その中心部である本陣の東隣に位置し、立地条件にも恵まれた格式ある旅籠でした。

建築と旅籠屋としての特徴

清明屋の建物は、文化14年(1817)に倉橋家の主屋として建てられたもので、江戸時代後期の典型的な旅籠屋建築の姿をよく残しています。表構えは、1階に大戸や蔀(しとみ)を備え、2階は全面出格子とする、当時の旅籠屋に共通する意匠が特徴です。

本陣のすぐ隣にあったことから、大名行列が二川宿に宿泊する際には、本陣に泊まる大名に随行する家老などの上級武士の宿泊所としても利用されました。この点からも、清明屋が単なる庶民向けの宿ではなく、格式の高い旅籠であったことがうかがえます。

旅籠屋とは何か

「旅籠屋(はたごや)」とは、江戸時代に広く普及した宿泊施設で、素泊まりが基本の木賃宿とは異なり、一泊二食付きで旅人をもてなすのが特徴でした。街道を行き交う武士、商人、旅人たちにとって、旅籠屋は休息と交流の場であり、情報交換の拠点でもありました。清明屋もまた、そうした旅の文化を支える重要な役割を果たしていました。

商家・薬局へと移り変わる時代

明治時代以降、街道交通の衰退とともに旅籠としての役割を終えた清明屋は、呉服や太物、小間物、雑貨などを扱う商家へと姿を変えました。さらに戦後には薬局として利用されるなど、時代の流れに応じて家業を変えながら建物が守り継がれてきました。

保存と改修復原の歩み

1983年度(昭和58年度)に豊橋市が実施した町並み調査によって、清明屋が貴重な旅籠屋の遺構であることが明らかとなりました。その後、2000年(平成12年)に建物は倉橋家から豊橋市へ寄贈され、市による本格的な保存・活用が始まります。

2001年には豊橋市指定有形文化財に指定され、詳細な調査を経て改修復原工事が実施されました。この工事により、主屋や繋ぎの間、奥座敷などが江戸時代の姿に忠実に復原され、建築年が文化14年であることも確認されました。失われていた土蔵や裏座敷も、新築復原という形で再現されています。

一般公開と観光資源としての価値

2005年(平成17年)4月29日、二川宿本陣資料館のリニューアルオープンに合わせて、旅籠屋「清明屋」は一般公開を開始しました。本陣と旅籠屋を同時に見学できる施設は全国的にも珍しく、2015年には商家「駒屋」も加わったことで、本陣・旅籠屋・商家の三施設が揃う全国唯一の宿場町となりました。

さらに2023年(令和5年)には豊橋市景観重要建造物にも指定され、歴史観光の拠点としてその価値を一層高めています。

館内の見どころ

館内には、ミセの間や台所、奥座敷、繋ぎの間、内庭・店庭などが復原され、当時の旅籠屋の暮らしや接客の様子を具体的に体感できます。二川宿を訪れる観光客にとって、清明屋は江戸時代の旅文化を肌で感じられる貴重な場所となっています。

建物の構造と見どころ

主屋の特徴

主屋の外観は、1階が大戸・蔀戸(しとみど)、2階は全面が出格子で構成される、典型的な旅籠屋の建築様式を残しています。なお、2階があるのは街道に面するミセの間の上部のみで、他の部分は平屋構造です。

ミセの間・ミセニワ

ミセの間は街道に面して設けられた板の間で、帳場や荷物置き場として使用されていました。その奥にあるミセニワは、接客や日常の作業が行われた空間で、主に従業員が利用していたと考えられます。

ウチニワ

建物の内側にはウチニワ(内庭)と呼ばれる土間があり、ここにはかまどが設けられ、食事の支度などが行われていました。通路としての役割も果たしており、生活の中心的な空間のひとつです。

繋ぎの間・奥座敷

繋ぎの間は、客室である奥の間・奥次の間と繋がっており、その最奥部には格式ある奥座敷が構えられています。奥座敷には床の間や入側が設けられており、本陣の東隣に位置していることから、大名行列の際には上級武士の宿泊場所としても使用されました。

歴史と背景

旅籠屋「清明屋」(はたごや せいめいや)は、愛知県豊橋市二川町中町に位置する歴史的な建造物であり、江戸時代から続く東海道の宿場町「二川宿」の文化的な象徴のひとつです。現在は豊橋市指定有形文化財(建造物)に指定されており、かつてこの地域で旅籠(宿屋)を営んでいた倉橋家の旧宅として、保存・公開されています。

この建物は、江戸時代後期から明治時代初期にかけて実際に旅籠として営業していた歴史を持ち、東海道を旅する人々や武士たちの休息の場として活躍しました。現在では、二川宿本陣資料館の一部として、二川宿の歴史や文化を伝える重要な施設のひとつとなっています。

二川宿と旅籠屋の役割

二川宿は、東海道五十三次のうち33番目の宿場町であり、三河国の最東端に位置していました。将軍家直轄の天領として栄え、特に旅籠屋「清明屋」は本陣のすぐ東隣にあり、宿場の中心に位置していました。江戸時代当時、この宿場町にはおよそ30軒の旅籠屋が営業しており、そのほとんどが二川中町に集中していたとされています。

倉橋家と旅籠「清明屋」

文化14年(1817年)に、現在の建物の主屋が建てられ、倉橋家によって旅籠「清明屋」が開業しました。当主は代々「八郎兵衛」を名乗り、格式の高い旅籠として知られていました。本陣に大名行列が宿泊する際には、家老などの上級武士がこの清明屋に宿を取ることもありました。

明治以降の変遷

明治時代以降は、旅籠から商家へと姿を変え、呉服や太物、小間物、雑貨などを扱う商店として営業。その後、戦後には薬局も営んでいたとされ、地域住民の生活を支えてきました。しかしながら、当時の営業内容については記録が少なく、不明な点も多く残されています。

文化財としての保存と復原

1983年には豊橋市による町並み調査が実施され、その結果、この建物が貴重な旅籠屋の遺構であることが確認されました。2000年に倉橋家より豊橋市に寄贈され、市が土地を取得。以降、建物の復原調査や実施設計が行われ、2001年には豊橋市の有形文化財に指定されました。

その後、2002年度に解体工事が行われ、2003年・2004年度にかけて改修復原工事が実施されました。この工事によって、主屋・繋ぎの間・奥座敷などが江戸時代当時の姿へと復原され、また、すでに失われていた土蔵と裏座敷も新築復原されました。

施設の公開と意義

一般公開の開始

2005年4月29日に、二川宿本陣資料館のリニューアルオープンにあわせて旅籠「清明屋」の一般公開が開始されました。これは全国でも初となる、本陣と旅籠屋の両方を一度に見学できる施設の誕生でした。

さらに2015年には商家「駒屋」も公開され、二川宿は本陣・旅籠屋・商家の3施設すべてが現存・公開されている、日本で唯一の宿場町としての地位を確立しました。

景観重要建造物への指定

2023年(令和5年)3月16日には、「清明屋」が豊橋市景観重要建造物に指定され、地域の歴史的景観の保全においても重要な役割を担う存在となっています。

終わりに

旅籠屋「清明屋」は、江戸時代の宿場文化を今に伝える貴重な建造物です。二川宿を訪れた際には、本陣・旅籠・商家の三施設を巡ることで、当時の旅人たちの暮らしや町並みの姿を具体的に感じることができるでしょう。歴史と文化が交差する空間を、ぜひご自身の目で確かめてみてください。

Information

名称
旅籠屋「清明屋」
(はたごや せいめいや)

豊橋・渥美半島

愛知県